第十七章 戦雲 (4)
山内元興の仕立てた快速船は、もとは戦闘用の関船を改装し、櫂の数を増やし高速化したものでした。彼はこれに鉄砲や煙硝類をしこたま詰込み、秋穂浦をひそかに船出しました。元興は、こうした時には無類の勇気を持った男です。この豊後への初荷を送り届けるに当たって、配下に任せず、みずから船頭として船に乗り込みました。すべての灯を消し、闇の中ひたすら未の方角へ向け櫂を動かします。このまま、ただまっしぐらに櫂を動かし続ければ、ほぼ一夜だけの航走で毛利側の警戒水域を抜け、豊後の若林水軍が制圧する近海へと到着するはずでございました。そして、その闇のなかの水域は、あらかじめ金品を撒いて手を回した村上水軍の警戒が、この一夜、この一角だけ緩んでいるという手筈でございました。
墨を流したような真っ暗闇の中、元興は声を枯らして配下を督励し、ほぼ休み無しに船を進め続けました。航走すること数刻、やがて、船尾に在った元興は、奇妙なことに気づきます。
少し遠く、左舷のほうの闇のなかを、こちらと同じように灯を消した船が、反対方向へとすれ違ったような気がしたのです。
もちろん、月も出ぬ闇夜のなか、眼には見えません。遠くのこととて、櫂の音や人の声なども聞こえません。ただ、それは、なにか大きな物が水上を滑って行く気配のようなものでございます。内海を経巡り、あちこちを交易して廻った水先案内人としての経験が、元興の耳に、なにごとかを囁きかけました。そして、頭の良い元興は、瞬時に状況のすべてを悟りました。
この水路は、たまたま、今日だけ開いたものではない。常に、開いている。そして、水路の両側からすでに何事かの目的を持った船が、わずかながら闇に紛れて相互に行き来している。
その意味するところは、明白でした。
まず、自分は、大いに無駄金を使ったのであろう、ということ。すなわち、彼が話をつけた村上水軍の裏切者は、多額の金子を手にし、苦労して水路を開けるふりをして、常に開いているこの水路のことをただ自分に教えただけなのです。元興は、闇の中、ひとり苦笑しました。今回は、相手の詐術に引っ掛かった。しかしそれは、生き馬の目を抜く商の世界では、当たり前のことでございます。いつもと違うのは、自分が、騙す側ではなく騙される側になってしまったことだけ。彼は、このようなことを、全く気に致しません。騙そうと、騙されようと、最終的に大いに儲かれば、ただそれで良いのです。
しかし、もうひとつ推察できる事実は、より重大でありました。すなわち、村上水軍は、すでに大友氏と気脈を通じ、同盟相手の毛利に黙って一部の水路を開けてしまっているということでした。常にこうしたことを続けるには、当然のこと、水軍中枢の指示ないし黙許が必要です。




