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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第十七章  戦雲 (2)

やがて、筑前、豊前北部、筑後の一部などで、相次いで叛乱の火の手が上がりました。まず口火を切ったのは、峻険な古処山(こしょさん)()る秋月種実(たねざね)殿。彼はかつて、同じこの城を攻め立てられ、豊後の名将、戸次鑑連(べっきあきつら)殿に父親を殺された過去がございます。今回、種実殿はこの怨敵の率いる敵軍を巧みな策にて迎え撃ち、したたかに叩いて敗走させる腕の冴えを見せました。


この動きに呼応したのが、大友宗麟公子飼いの忠臣と言われていた高橋鑑種(あきたね)殿です。歴戦の忠将で、その彼が毛利方に(なび)いて謀叛を起こしたことは、宗麟公の脆弱な心にあらたな動揺を与えました。これは、噂ではございますが、宗麟公の荒淫により高橋一族の女の(みさお)が強引に奪われたことがきっかけだとのこと。真偽の程は明らかではございませんが、いかにも、宗麟公ならば有りそうなことではございます。


さらに翌年には、博多を護る要衝・立花山にて、守将の立花鑑載(あきとし)殿が、この巨大な山塞ごとまるまる叛乱を起こし、毛利方に靡いてしまったのです。これは、大友氏にとり、まさにおそるべき事態と申すべきでありました。立花山城は、門司周辺に上陸した毛利軍の西進を食い止めるべく強化されていた巨城で、これが寝返ったということは、博多までの進路がすべて無抵抗に開いてしまったことを意味するのです。


北九州の全体が、まるで火にかけた鍋のように熱くたぎり立ち、ぐらぐらと揺れて、沸騰しておりました。


その叛乱者たちが等しく望む、唯一のこと。それは、一刻も早い毛利全軍の九州上陸と、博多への堂々たる進撃です。これにより大友帝国の威信と軍事力は粉砕され、あの優柔不断かつ情緒の不安定な大友宗麟公は、青くなって降参してしまうでありましょう。さすれば、彼ら叛乱者たちは、毛利より手厚く遇され、故郷の山野に新たなる給地を与えられ、海外と畿内とをつなぐ一大経済圏への参画を果たすことができるのです。


皆が、毛利の到来を待ち望みました。そして、そうした九州諸侯の招きに応じ、遂に巨大な毛利軍が動き始めることとなりました。


西の果てに、(にわか)(おこ)った戦雲。それが、ただひとりの老人の淋しき心に巣食ってしまった、寄る()のないむなしさから発するものであることを知る者は、誰もございませんでした。




山陰、山陽の各地に陣触(じんぶ)れが飛び、諸侯は軍を整えて進軍し、まずはいったん山口を目指しました。そこに集結し、必要な兵備や糧秣(りょうまつ)を整えてから、赤間ヶ関へと進み、あらかじめ待ち受けた船団に整然と乗り込んで、一気に幅の狭い海峡を押し渡るのです。


山口は、この俄なる好景気に沸き立ちました。毛利領内から陸続と到着する軍勢。その宿泊や給食や武具矢玉の調達などで、多額の商機が産まれました。戦地へと渡る船の調達、兵どもが喰らう酒、そして酔った兵どもにたかり、春を(ひさ)ぐ女たち。(たくま)しい商人たちは、ここぞとばかり、蔵の中に仕舞っていたありとあらゆる商品を放出し、町の辻毎に多数の市が立つありさま。


奉行の市川経好殿の尽力により、ここのところずっと繁栄を続けていた山口ですが、この時のぎらぎらとした活況ぶりは、もう、殷賑(いんしん)を極めるなどといった言葉で言い尽くせるものではございませぬ。戦は、その背後の策源地(さくげんち)に、潤沢な儲けをもたらすのです。誰かが死に、傷つけば、別の誰かがそれで儲けて潤うのです。このとき、山口は、ただひたすら潤う側でございました。

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