第十五章 海峡 (4)
議論は、ほんのわずかな間だけのこと。じきに、海峡のもっとも狭い場所を対岸の高台から塞ぐ邪魔者、門司城を奪い取ることが決まりました。作戦は即座に実施に移され、渡海奇襲は成功、わずかな数の守備隊は追い払われ、両軍最小限の犠牲でまずは毛利軍が凱歌を上げました。
もともと、門司を含む筑前一帯は、大内氏と大友氏の勢力の緩衝地帯として、あえて両者から放置されていた場所。このたびの国境画定により、いちおう大友側とはされたものの、毛利の意識では、ここはまだ無主の地、中立地帯であったのです。
しかし、実の弟の命まで犠牲にした上で締結した、いわば血の誓いともいえる密約をいともあっさりと裏切られ面子を潰された大友義鎮公の意識は、まるで違っておりました。彼は、赫怒しました。すぐさま、豊後王国の誇る二万もの精鋭を門司に差し向け、この小さな海峡の監視哨に過ぎない砦をびっしりと包囲し、陸地から烈しく攻め立てたのです。
毛利の主力軍も、この事態にすぐさま反応し、対岸の赤間ヶ関まで本営を進めてきました。当主・毛利隆元公御自ら総大将となってここに陣し、その先手として、麾下に強力な水軍衆を持つ小早川隆景殿が、援兵数千を率い渡海の準備を進めました。そしてそれを阻止せんと、狭い半島状の地形に蝟集する大友軍。
「軍、河を半ば渡らば、これを伐つべし。」
古の兵法にも説かれるとおり、水上を渡る軍は、通常まったく戦力を発揮できず、きわめて脆弱なもの。まして、河などではなくここは海。しかも強い汐が渦巻き、なまじな軍船では操船すら困難な海峡でございます。地上に何層もの縦深で布陣する大友軍に、まったく死角はありませんでした。
しかし、そこは神算鬼謀の隆景殿。水上を押し渡り、敵前に上陸せねばならぬ自軍の圧倒的な不利を、別の長所で見事に補ってみせたのです。長所とはすなわち、自軍の船足の疾さ。彼は、夜間、舟艇隊を少し離れた地点に送り、まずそこへ小勢を上陸させました。そして、盛んに松明や篝火を焚かせ、大声で叫ばせるなど勢力を大きく見せて、大友軍にこれが主隊と誤認させました。
大友の包囲軍が、地響きをたててこの囮隊に近接していくと、頃合いをみて隆景殿は、別の一隊を率い、船上で盛んに火などを焚きながら岬を廻り、反対側へ上陸するふりをしました。裏をかかれた大友軍は、そちらへ動きます。しかし、これもまた囮。その頃、さらにその裏、すなわち最初の陽動部隊が上陸した場所よりも城に近い浜へ、主隊が堂々と船をつけ、強力な援軍を堂々と上陸させ、城へと入れてしまったのです。
要するに、大友の大軍は、あたら多数の軍兵を擁しながら、毛利兵をひとりして伐つことなく闇の中を右往左往させられただけに終わってしまったのです。裏の裏をかく、隆景殿の鬼謀。これにより、落城寸前だった門司城の士気はめざましく回復し、援兵と合わせその戦力は倍加しました。
翌日、毛利本軍の渡海を支援して門司城を駆け下った小早川軍は、高地から逆落としの勢いで包囲の大友軍の鉄環を粉砕し、上陸に成功した本隊との挟み撃ちで、大勝利を得ることに成功しました。
しかし、小早川隆景殿が、その悪魔のような恐るべき智謀を発揮するのは、ここからでございました。鍵となったのは、またも、水上における船足の疾さ。
小早川の水軍衆は、陸路をほうほうの体で退がってゆく敵を水上から先回りして待ち受け、ひとり、またひとりと討ち取ってゆきました。あちこちの入江や岬、砂浜で、大友兵の断末魔の叫びが響き、鑓に刺し貫かれた胴体が崖下に突き落とされてゆきました。その敗軍の無残さ、惨めさは言語に絶するもので、当初二万を誇った大友軍は大恐慌を起こし、最後には、国東の道なき山中をばらばらになって逃げ散ってゆく始末でございました。




