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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第十五章  海峡 (3)

「そちの考える毛利家の姿を、もっともよく(あらわ)すお人が居るとすれば、ご三男であろうのう。」

小早川(こはやがわ)の、隆景(たかかげ)様・・・まだお若く、才気煥発(さいきかんぱつ)とか。」

「そう。このところ、毛利の、他家に対する外交策略、一切があの御方を通してなされているようじゃ。お父君と較べても、その(さと)さは疑いようもない。まさに、目から鼻に抜けるような。頭を廻すことにかけては、儂も多少は得意であるが、あの方には、到底かなわぬ。しかし。」


「しかし?」

「その才気に、時として、(おぼ)れるところもあるようじゃ。溺れると申すより、頭が良すぎ、物事が見えすぎて、却って不安になられることがあるのかもしれぬ。まだ若いせいもあるだろうがの。しかしそれが、のちのち大きな失敗につながるようなことがないか、儂は時に心配になることがある。」




局は、やや意外な面持ちで夫の言葉を聞いておりました。これより少し前、小早川隆景殿は、古今未曾有ともいえる鮮やかな大捷(たいしょう)を、他ならぬ、海の向こうの大友氏より挙げておられたからです。


大友氏と毛利氏は、すでに述べたとおり、この頃まではいちおうの友好関係にございました。両者は、大内家の旧領を蚕食(さんしょく)することで共に利益を得ることができ、この点で大いに手を組む余地があったのです。大友義鎮公が、毛利との約定どおり、自らと血の繋がった実の弟君を見殺しにしたのも、あらかじめ示し合わせた、毛利との国境画定交渉があってこそ。(うつ)()は、常に、利得で動くものでございます。


この約定(やくじょう)により、関門海峡を挟み、防長側はすべて毛利、大内家の強い影響下にあった小領主が分立する筑前や豊前はすべて大友。こうした申し合わせで、いわば大内の領域を仲良く分け取りすることになったのですが、永禄年間になってからは、やや事情が変わってまいりました。


事情とは、毛利の、東方の尼子との戦況がはかばかしくないことです。石見の銀山など、山間のさまざまな利益を求めてしきりに軍を動かす毛利でしたが、地の利を得た尼子の抵抗は凄まじく、陸戦において手ひどく叩かれることが数度にもわたりました。この尼子の粘り強い抵抗力を削ぐには、博多から美保ヶ関(みほがさき)を経て京へと至る、山陰の水路による物流を切断し、相手を経済的に弱らせるのが一番です。そして、水上の封鎖は、毛利のもっとも得意とするところ。


しかし、今度の舞台は、勝手知ったる瀬戸内の内海ではございません。三島村上氏をはじめとする海賊衆と、毛利氏直属の強力な水軍衆とを、山陰へと進出させなければならないのです。そのため、まずは関門海峡を制し、これらの水軍を回航する道筋を啓開(けいかい)することが急務となって参りました。


ここは、すでに画定した大友氏との国の境です。しかし、仮に大友が尼子と手を組み、狭い海峡を封鎖して毛利の船団を足止めするような場合に備え、海を越えた対岸にもひとつ拠点を持っておかねばならないと思われました。この頃には、内治および外交において、家の信用を第一義に掲げ、律儀にさまざまな約束事を守るよう、みずからを大いに律し()めつつあった毛利家ですが、こと、戦となれば事情は変わります。こういうときには、最前線に立ち危険を冒す前線の闘将たちの声だけが大きく響き、威勢のあまりよくない自重論は、影を潜めてしまいます。

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