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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第十四章  異国の舞 (1)

毛利家の山口奉行・市川経好の妻として、家の外からは「市川局(いちかわのつぼね)」と呼ばれるようになったかな様の、多忙な日々が始まりました。




まずは母として、幼子(おさなご)を無事に育てる役割がございます。こちらは、乳母や下女が何人もつき、煩わしいことどもはみな彼女たちがやってくれるのですが、市川局は、自ら乳を与え、日になんども幼子を抱いては、笑いながら語りかけ、頻りに頬ずりなどなされるのです。もともと情の深き局が、幼子とじゃれ合うさまは、市川家の奥向きの空気を、いつもほのかに明るくしました。


次に、奉行邸に重要な客人などあるときの、家内のもてなしの差配(さはい)です。山口奉行のもとには、実にさまざまな客人が、引きも切らずに訪うて参ります。主家・毛利の一族、吉川や小早川の一族、内藤、杉、山内や吉見といった、もともとこの山口の周辺で大内家に仕えていた家の者。さらに、京から下向してくる公家や高僧、内海を股にかけて商いを行う商人ども。はては南蛮から来た、見慣れぬ碧眼(へきがん)(とが)り鼻、赤い膚を持つ一行まで。


もともと、剛毅果断(ごうきかだん)で鳴らした女丈夫(おんなじょうぶ)。市川局の差配は常に的確で素早く、不明瞭な部分がなく常に決然としておりました。家内の皆々よくこれに服し、そのもてなしの豪奢(ごうしゃ)なことも相まって、市川邸への伺候や宴は、他国にも聞こえた、山口におけるひとつの名物にすらなって参りました。




この、局のお働きがどれだけ夫の市川経好殿を助けたか、わざわざ申すまでもないことでございましょう。自身のもともと持つ対人交渉能力に加えて、こうした奥廻りや非公式の席で人の心を繋ぐ働きは、長年の戦乱から立ち直ろうとする町にとって、もっとも重要なことなのでございます。


忙しく、せわしなく、しかし充実した日々。お子様もすくすくと育って参ります。その後、経好殿との間に二子が生まれましたが、経好殿は、あの祝言の夜での言葉のとおり、子らの間に一切の隔てを設けず、みな平等に愛情を注ぎました。局にとって、この上なき幸せな歳月でございました。




こうして日々市川邸を(おとの)う客人たちに混じり、ある日、山内元興(やまのうちもとおき)と名乗る男が、大勢の召使たちを引き連れ、幾つもの牛車(ぎっしゃ)に豪勢な贈答品の数々を持参して門前へ参りました。以前にも触れましたが、彼は、内藤興盛殿の末子で、啓徳丸という名であったその昔、かな様に庭箒(にわぼうき)でしたたか打ち据えられた、あの軽忽(けいこつ)な子供が長じた姿でございます。


彼はその後、内藤家を出て山内家を継ぎ、山本盛氏や掘立直正といった瀬戸内の内海商人どもと手を組み、幅広く水上で商いをしておりました。山本や掘立も同様ですが、彼らは、陸上では表向き武家としての(かお)を持ち、苗字帯刀(みょうじたいとう)した上で多少の所領や軍事力なども持ち合わせ、その実、水上ではみずからの利潤の獲得のため邁進(まいしん)する二面性を持ち合わせておりました。


市川経好殿は、山口を復興させ、物流を(さか)んにするため、彼らの、いわば欲得ずくの好意を、大いに当てにしました。まず朝鮮や明国、南蛮などから九州の博多や府内に着いた物資を、内海を通じて和泉の堺や京の都へと運べば、内海の商人らは莫大な富を手にすることができます。そして、彼らが富めば、彼らの船を通す内海沿いの湊や泊が、莫大な冥加金で潤うことになり、そのうち何割かは、毛利家の収益として吸い上げられます。


すなわち、より活発な商業活動が行われ、より多くの価値ある物資が瀬戸内を行き交えば、内海商人だけでなく、各湊の庄屋、それを各地に陸送する夫丸ども、あるいは海上にて安全な航路を道案内する海賊衆までもが潤い、そこから上がる各税収が毛利を強大にし、その軍をますます大きく、(つよ)くするのです。そしてもちろん、軍が強くなれば、その領内に住まう民草、とりわけこの山口に集まる商人どもや町衆たちの生活を脅かす外敵の脅威が減じ、皆がますます富み、栄えることとなります。

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