第十三章 初夜 (2)
しかし、輿の上のかな様の気分は、いまひとつ晴れません。
宮庄家の今後が心配なこともございます。安芸の遠縁とはいえ、自分と面識すらなき別の男に、これまで仕えてきた忠良なる者どもの今後を託してしまって良いものか。また、宮庄が、武家として、これまで通りの誇りある名家として、きちんと存続していけるものか。
また、経好殿の確約があるとはいえ、出産したばかりの男子が、市川家に素直に受け入れてもらえるかどうかも不安です。市川家の純血でないこの子は、いずれ、かな様と市川経好殿との間に別子ができれば、何らかの手立てを講じて長子としての地位を失うことになるでしょう。そこまでは自然なこととして、あらかじめ覚悟もできるのですが、すでに、ここ山口にてあまりにも多くの人の世の無情を見てしまった以上、いつなにが起こるか、わかったものではございません。
そして、あの狂おしいまでの熱情に満ちた、氷上太郎との日々も想い起こされました。彼は、たしかにかな様にあらかじめ告げることなく、勝手に豊後への帰還を決めてしまっておりました。しかしそれは、如何ともし難き事情があってのこと。それを後から左座宗右衛門に教えられたかな様のお心は、いまでも、例えば月が満ちる夜などについ空を見上げてしまうと、千々に乱れてしまうことがあるのです。
かな様は、自らを苛む、そうしたさまざまな想念からしばし離れようと、輿の脇でただ静々と歩を進める警固の武者の影を見ました。そして、驚きのあまり、あっ、と声を上げそうになりました。
武者の顔色は黒ずみ、細い眼がぎらぎらと靭い光を帯びております。その、左座宗右衛門でした。彼は、長門長福院で大内義長公が自刃されたあと、助命解放されたわずか数十名の郎党のなかに混じっておりましたが、その忠義と腕とを買われ、市川家の武芸指南役として山口に戻ってきておりました。もちろん、かな様もそのことは聞いておりました。また今宵、大切な嫁迎えの使者を内藤家へ派するに当たり、これの警固役に家内でもっとも腕の立つ左座が任ぜられるのは、当然といえば当然のことではございます。
彼には、もとはここ山口で、大友家の間諜として人知れず活動した過去がございましたが、そのことを市川経好殿はまだよく知らぬようでした。とはいえ、一度は主人と仰いだ義長公を冷たく見捨てた大友家へ、真っ直ぐな気性の左座が今さら返り忠を行うとも思えず、かな様はこのことを、特に誰にも言ってはおりません。
しかし、まさか今宵、その左座がわざわざ内藤家まで自分を請け取りにやって来るとは。そして、特に挨拶もなしに、わが輿の脇を共に無言で歩んでいるとは。
自分を凝っと見つめる視線に気づき、左座がちらりと、かな様のほうを見ました。しかし、彼は全く表情を変えず、軽く目礼だけすると、すぐと眼を前方の闇のほうへ戻し、また確りとした歩みで足を進めはじめました。自己の役割にのみ忠実な男の仕草でした。