第十章 儚き花 (2)
かな様も、左座も、しばし何も言わず畳の上のその蒼い花びらを凝視しておりました。
やがて、左座が口を開きました。
「ただ、それを。それだけを手渡すよう、満月の晩、鴻ノ峰で拙者に託し申した。」
ふっ、とかな様は笑い、また読んでいた書へと眼を戻しました。
「それだけか?用が済んだのであれば、騒がれぬうちに、疾く、去れ。」
しかし、左座は、なにやらもじもじして、その場を去ろうとしません。
かな様の眼が鋭くなり、咎めるように聞きました。
「まだ、何ぞ、用があるのか?」
「いや、その。」
彼は言いにくそうに、
「氷上殿は、かな様を裏切ったわけではありませぬ。」
これまで押さえていた激情を、遂に、かな様は、左座に向けぶつけてしまいました。
「たわけたことを!大友の間諜ずれが。信じた妾が馬鹿であったわ。我ら皆々、似た者同士などと甘言を弄し、月下で舞なぞ舞って歓心を買い、いざ用が済んだら何を告げもせずに去る。これを、裏切りと言わずしてなんと言う!」
ここが離れの書院でなければ、誰か家人がすっ飛んできたことでしょう。大声ではありませんが、感情に突き動かされているときのかな様特有の、腹から絞り出すような、低く、鋭い声でした。さすがの左座も、この勢いにややたじろいだ風でしたが、気を取り直して、こう言いました。
「裏切っておらぬは、本当のことでござる。それは、この左座が、武士の名にかけて請け合い申す。」
真正面からかな様の眼を見て、ゆっくりと言いました。
「以前にも申しましたが、氷上殿と拙者とは、豊後に、われらが主と仰ぐ重臣がおります。名を左衛門大夫吉岡長増といい、大友家加判衆の筆頭格。」
いきなり、彼らの枢機に関わる重要事を語り始めました。これには、かな様のほうがややたじろいだくらいでございます。吉岡長増は、ここ山口でもその名を知られた豊後大友政権の重鎮であり、まだ若い大友義鎮公を陰で支える知恵袋のような存在として、名を知られていました。氷上は、大友氏というより、直接、この老巧な知恵者の指示のもと山口に潜入した諜者だったのです。左座は、意外なおももちのかな様には構わず、先を続けました。
「拙者はかつて肥後で吉岡様に命を救われ、氷上殿は、国を逐われ豊後で父御を喪い窮迫していたところを拾われ申した。以降、吉岡家にて、われらはともに我が子同様に可愛がられ、いわば吉岡殿の手駒として使われ申したが、恩はあまりにも深く、吉岡殿のためなら、いつでも喜んで命を捧げる覚悟でござった。」
いったん、ここで言葉を切り、かな様の眼を見ました。
「拙者らが義長公に附いて山口に参ったは、これすべて、吉岡殿のご差配でござる。氷上殿は舞の師匠と称し、義長公の動向の監視役ならびに山口での諜者として。拙者は、主に武張ったことどもすべてが受け持ち。詳しくは申さぬが、石見や安芸では、数名、敵の忍びなどを斬り申した。」
この男、知らぬ間に安芸にまで足を伸ばしていたのか。かな様は、驚いて眼を見張りました。
「吉岡殿は、かつて菊池義武を肥後に送りこんだ責任者でした。それが、数十年に渡り大友家へ仇なす禍のもととなり申した。吉岡殿は、そのことを深く恥じ、山口に義長公を送り込むことで同じ轍を踏んではならぬと、固く誓っておられたのです。」