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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第九章  喪失 (3)

ともあれ大内氏は、その誇る巨大な軍事力の中核ともいえる陶氏の軍を、まるまる(うしな)ってしまいました。かつては牛と、その足元の虫けらぐらいに力の差があったものが、今や、戦力では安芸のほうがやや有利な状況です。毛利は、厳島での戦捷(せんしょう)のあと、周辺の一揆や土豪たちとの交渉や小戦(こいくさ)に忙殺され、いまだ大々的な軍事侵攻には及んでいませんが、彼らが、近々攻め寄せて来るのは、もはや、誰の目にも明らかなことでありました。


動揺が走り、弱りきった大内の兵力がさらに減ずる事態が続きました。広大な大内大国の版図のそちこちで、密かに毛利と通じ、離反する動きが出て参ったのでございます。そうした動きは、勢いがついてくると、止まらなくなって参ります。そして、その最たるものが、他ならぬ大内氏の本拠地、山口を舞台にして起こった、杉重輔(しげすけ)殿のご謀叛でありましょう。


杉重輔殿については、以前にも、あの能舞台での采女(うねめ)の舞の夜に、義長公を襲うという風聞が起こったことで触れたかと思います。あのときは、ただの風聞であったのですが、陶殿の軍勢が雲散霧消(うんさんむしょう)してしまったことで、その恐るべき事態が現実のものとなってしまいました。晴賢殿自害の報が伝わると、重輔殿は待ちかねていたかのように軍を(おこ)し、富田若山(といだわかやま)城を襲って晴賢殿のご長男を害してしまったのでございます。


そして、そのとばっちりと申すべきか、同じ城に居合わせた石見守護代の問田殿も討死なされてしまいました。ことここに至って、陶と杉のあいだの私戦は、まぎれもない公戦となり、強硬派の内藤隆世殿らが声高に討伐を主張しました。両者の死闘は、大内領の真ん中で繰り広げられることとなり、せっかく復興なった山口の町が、またもや灰燼(かいじん)に帰する事態となったのでございます。




氷上の道場は、なんとか焼け残りましたが、もはや、人心乱れたるこの町にて、優雅に舞を教えておる余裕などございません。氷上は道場をたたみ、最近は一族従者ごとここの離れに住むようになっておられたかな様も、追われるように内藤邸へと戻ることになったのでございます。


内藤隆世(たかよ)殿は、父君の故・興盛(おきもり)殿に似て剛直なお人柄。かねてから宮庄の一本気な姫の気質に好感を持って居りました。いまや、大内義長公のもとに仕える残り少なき重臣たちのあいだでも筆頭格になられていた彼は、きわめて多忙でしたが、自邸に戻って参ったかな様を一度だけ引見(いんけん)し、これからの身の振り方などを尋ねました。


毛利氏、杉氏などの内外の敵に対しては、強面の強硬派として知られた隆世殿ですが、かな様の前では、お優しい兄君のような若者です。彼は、どこか悟りきったような涼やかな顔で、こう言いました。


「かな姫よ。事態は切迫しておる。そちも承知の通り、大内の武威は衰え、以前では有り得ぬような思わぬ内訌(ないこう)や裏切りが起こっておる。いや、この内藤の家の中でさえ、(わし)とは違う考えを持つものも居る。」


こう言って、それとなく座敷に控えていた数名の家臣たちを眺めました。かな様には、そのうちの何名かが、目を伏せたように思えました。


「縁あって、内藤は、そちと、宮庄(みやのしょう)の一族郎党とを受け入れた。その心に、いまも変わりは無いが、この情勢じゃ。いつまでも今のままそち()を保護してはおれんかもしれぬ。もし、他の家や他国へ逃れたいという意があらば、遠慮は要らぬ。心のままに致せ。」


思わぬお言葉に、かな様がきょとんとしていると、隆世殿は、親切心から、さらに言い添えました。


「そちと、入魂(じっこん)の間柄である能役者、たしか氷上某と申したか。」

噂は、内藤の家中にまで広がっておりました。隆世殿としては、特に他意はなく家中周知の事実を言ったに違いないのですが、恋は盲目、こと氷上との間についてあまり周囲の思惑なぞを顧みることのなかったかな様は、不覚にも、やや意表を突かれてしまいました。


美しい顔を真っ赤にしたかな様を見て、隆世殿は、ますます好意を抱いたようです。優しく、こう言葉を継ぎました。


「その者、御屋形様(おやかたさま)の許しを得て、じき豊後に戻ると聞いた。」

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