第九章 喪失 (2)
海の向こうから戻ってきた氷上の態度が微妙に変化していることに、かな様は気づきました。
冷たくなっているわけではございません。門人たちの目がある時には厳しい師匠ですが、二人きりのときには、あの優しい氷上のままです。笑顔は柔らかく、思いやりに満ち、かな様の一本気な心性と深い愛情、それゆえの烈しさ、振幅の大きい心の動きをよく汲んで、その舞のごとく軽やかにやんわりとそれを包み込みます。かな様は、そうした氷上の優しさに包み込まれ、彼の裸の胸に抱かれ、彼の身体の暖かさを感じながら微睡むときにだけ、安らぎを感じるのです。
氷上は、氷上のままでした。しかし、どこかが違っておりました。
たまに、かな様から目を離し、どこか遠くの方を視るようにしているときがあります。話をしていても、心が少し虚ろになっているのか、言葉に、熱も力もこもっていないことがあります。二人で膚を合わせ、睦み合っているときにも、あの細やかな愛撫が、ただの繰り返しになっているように感じることがございます。
恋人たちの、あたりまえの飽きというものなのでしょうか。生まれてはじめての経験なので、このときのかな様には、よくはわかりません。しかし、氷上は、豊後から戻ってきてから、どこか変わってしまった。かな様は、心と身体で、そのことを鋭敏に感じ取っていたのでございます。
落日の大内帝国に、致命的な事態が起こったのは、その年の初夏のこと。大内の武威の中核、陶晴賢殿が、毛利元就公の奸計にみすみす嵌って、厳島で一軍ごと討ち取られてしまいました。
経緯は、ざっと申すと、斯くの如くでございます。すなわち、安芸を手に入れた元就公は、さらに西進する気配を示しはじめました。先に申した江良房栄殿への調略、大友義鎮公とのひそやかな談合。さらに、安芸と周防の境目に座する国人領主どもにあからさまな働きかけを行い、国境地帯が揺らぎ始めました。
さらに、海上では瀬戸内の村上水軍との通交が頻繁となり、大内の富の源泉となっている、堺や京への通商に脅威が及びはじめました。
危機が決定的となったのは、古くからの神域、厳島の一角に、元就公が宮ノ尾城という砦を築いたことです。対岸の地御前とのあいだの狭い航路を挟み、すべての水運を管制し得るこの地への築城は、大内帝国にとっては、まさに喉元に匕首を突きつけられるに等しい重大事でございました。しかしながら、これは、退路のない狭い島に敵軍を引き寄せるための、狡猾な元就公の罠だったのです。
またしても陶晴賢殿は、元就公の計略に嵌りました。焦った彼は、一軍を興して東進し、船団を仕立てて厳島に上陸、波打際に陣を張って宮ノ尾城を攻め立てましたが、夜陰に紛れ、島の反対側へこっそりと上陸した毛利の大軍に山越えで奇襲され、さんざんに打ち破られてしまったのです。
晴賢殿は、なんとか海上に逃れようと毛利兵の追尾を躱して島内を経巡りましたが、どこにも船はございません。なんと、毛利についた村上水軍衆の軍船が、ことごとく陶方の船を襲い、これを残らず焼き払ってしまったからでございます。彼は遂に観念し、大江浦なるところで、海を見ながら自害して果てたのです。
主殺しなる悪名ばかりが残りましたが、彼はただ愚直に、惰弱に流れる義隆公の行状に大内の行く末を憂い、兵を挙げただけでございます。周防、長門をわがものとせず、義長公をお迎えして大内の家名を存続させ、みずからはその臣下たるを保ったことが、そのなによりの証左ではございますまいか。陶晴賢を悪人と謗るならば、毛利元就や大友義鎮のごとき、心つめたき大悪人どもは、いったい何と呼べばよいものやら。しかしながら今では、彼らは乱世を鎮めた大英雄と呼ばれるのです。
つまるところ、人の価値とは、その行いによって決まるのではございません。どんな手を使ってでも、ただただ生き残れば、あとから如何様にでもその行いを取り繕い、その意味合いさえも浄化できるものなのです。穢らしい、名もなき草が、ただ冬を越え、立ち枯れず生き残ることができさえすれば、あとから、みずからを美しい花に擬することができるのでございます。
どこまでも蒼い海、そして打ち寄せる白波の響きを聞きながら腹を召す晴賢殿の胸には、いったい、なにが去来したことでありましょう。