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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第八章  水面の漣 (5)

山本盛氏(もりうじ)という、武士であり商人(あきんど)であり、また有徳人(うとくにん)としての(かお)を持つ男がおります。彼は、あやや様ご生誕のみぎりから内藤家に出入りしていた小商人(こあきんど)でしたが、商才以上に、理財の才がございました。あやや様の嫁入りとともに安芸に移ってから、わずかな元手で多額の金をこさえては、それをせっせとあやや様や隆元公の周辺にばら撒きました。


また彼は、内海(ないかい)に大小様々の島が入り組んだ広島湾周辺の水運を掌握していた、掘立直正(ほたてなおまさ)という男と結託し、毛利家の認可を得て一帯の利権をわがものとし、さらに利殖に励んでは巨額の資産を貯め込みました。あやや様は、彼にとって、まさに金を産み出す打出(うちで)小槌(こづち)だったのです。


内海を舞台にそんな活躍をする山本盛氏と内藤家とは、いまだ切っても切れぬ縁が残っておりました。尾崎局は、あのご謀叛、ならびに防芸引分の時分まで、いわば毛利氏と大内氏の外交窓口のような存在でございましたし、たとえ地上では軍と軍とが戦闘を行っていても、いぜん、内海では活発に船に載せた荷が行き交い、各地の湊に多額の冥加金(みょうがきん)が落ち続けていたのです。そして、敵も味方も関係なしに商いを続ける盛氏は、毛利とも内藤とも、平気でやり取りを行うことができました。


現に内藤家からは、興盛殿の末子で、尾崎局にとっては実弟に当たる御方が、敵国であるはずの安芸の盛氏のもとへ預けられ、商いの薫陶(くんとう)を受けている最中でありました。覚えておいででしょうか、かつて、かな様に内藤邸の中庭で手ひどく打擲(ちゃうちゃく)された、あの啓徳丸(けいとくまる)さまが長じたお姿です。彼はその後、母方の家を継ぎ山内元興(やまのうちもとおき)と名乗っておりましたが、いまやすっかり理財に通じた若者となり、内藤家の明日を背負って立つと期待される存在でありました。


毛利にも内藤にも濃い人脈を持つ山本盛氏は、まず、この若き山内元興殿を使って、兄にあたる内藤隆春殿を抱き込み、揺さぶりをかけました。滅びへの予感にうち震える山口にあって、ひとり内藤家だけは、毛利との強い(えにし)があるのです。これを()かさぬ手はない。いまのうち密かに(よしみ)を通じておけば、ごく近い将来に起こり得るであろう、毛利氏の軍事侵攻に際し、御家を保全することができる。誰しも、こう考えるのが自然です。


いつのまにか、内藤家中には、隠れた毛利派が蔓延(はびこ)るようになりました。盛氏の放った毒は、じんわりと、確実に廻っていきました。いまや、大内家中にあって一等の重臣となり重んじられている内藤家は、実は、家ごと毛利に転ぶ寸前といっても過言ではない状態であったのです。




ただ、一人だけ、例外がおりました。


他ならぬ、家長の内藤隆世(たかよ)殿です。彼は、昔ながらの無骨者で頑固者。歳は若くとも、多年に渡る厚誼(こうぎ)を受けた大内家への恩を、かたときも忘れることのない(さむらい)でした。もちろん、その若さゆえ、世の汚さを受け入れることができなかっただけなのかもしれません。あるいは、見事に転んだ叔父、隆春をはじめとする家中の者どもの醜態を見るに見かねて、来るべき破滅へ、敢えて自らの背を押してしまったのかも知れません。


先代、内藤興盛殿が、隆世殿に家督を譲ったのも、おそらくはこの剛直さ、まっすぐさを気に入ってのことでありましょう。しかし、今は非常時。大内家、ひいては内藤家存亡の危機に際会(さいかい)しておりました。家中の誰もが、自らの生き残りを策します。隆世殿は、家長でありながら、そうした家中でひとり孤立した状態になってしまいました。




じわじわと。ひたひたと。


斜陽の大内帝国は、すでにして毛利という悪辣(あくらつ)な蜘蛛の巣に(から)め取られ、内と外から毒が廻って、ただ好餌(こうじ)となるのを待つばかりの状態であったのです。

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