第七章 高嶺の花々 (3)
・・・ここらあたりで、やはり触れておかねばなりますまい。
お二人に、稽古以外の秘め事があったのではないかと。たしかに、その事に触れずして、先に話を進めることはできませぬ。わずかに逡巡する心も在るのですが、仕方がございません。その事について、申し上げましょう。
あれはおそらく、四度目か五度目の稽古でのこと。ひとしきり、基本の動作を稽古したあと、二人は、お堂の縁に並んで腰掛けておりました。かな様が竹筒の水を飲み、根を詰めた稽古の疲れを癒やしていると、いきなり、氷上が言いました。
「お見立てのとおり、拙者は、ただの能役者ではございませぬ。」
「わかっておりまする。」
かな様は、微笑しながら答えました。
このときになると、氷上に対する口調は、あの上位の武家の烈しい物言いではなく、弟子が師匠に対するときの、丁寧なものに変わっておられます。
「詮索は、いたしませぬ。太郎様は、ただ妾の、舞のお師匠。」
「いや、私から、素直に申し上げておきたいのです。」
氷上は、言いました。
「拙者の父は、あれなる山の」
そう言って、眼下に広がる市街のわずかな明かりの向こう側、月の光に照らされ、ぼうっと浮かび上がる黒い山影を指さしました。
「大内氏の菩提寺の別当でございました。」
かな様は、なぜか淋しそうにそう語る、氷上の横顔を見上げておりました。この日も、満月は神々しく、すべてのものにあまねく柔らかな光を投げかけています。
氷上は、言葉を継ぎました。
「氷上とは、その菩提寺の山号でございます。別当とは申せ、実は、大内家先々代、義興公の実の弟。」
そう言って、かな様を見つめます。
「もっとも、それはもう五十年も昔のことでございます。その後、国内の謀叛にて担がれ、敗れ、そのまま大友領の豊後へと逃れ申した。」
それを聞き、かな様は、遠くのほうを見ながら言いました。
「どこもかしこも。同じような話ばかり。同胞同族が相喰み、骨肉の争いばかりが起きまする。」
「いかにも。」
「それで?」
かな様が、先を促します。
「父御は、どうなされたのじゃ。」
「しばらくは豊後にて、大友客将の扱い。されどその後、大内との間が取り持たれ、海峡が穏やかになるとともに、扱いもじょじょに変わり申した。」
「あまり、良からぬほうへと?」
「さよう。逃れ来たりとはいえ、もとは謀叛人。大友としても、大内への手前、優遇するわけには参らぬ。そうした失意のさなか、拙者が生まれ申した。」
「なるほど。太郎様が氷上を名乗るは、大内一族としての意地なのですね?」
かな様は、言いました。
「たしかに、それもございます。」
氷上は認めましたが、こうも言いました。
「されど・・・この名に感ずるところのある者などが、山口のご城下に、ときどき居りまする。そしてこっそりと、さまざま便宜を図ってくれるのです。」
かな様が、少し居住まいを正しました。
「さりとて、ご安心くだされ。大友と大内の仲はいますこぶる良好。なにか大内にとり、悪しき企てをなそうなどと、そのような考えは、拙者にも、大友の側にもありはしませぬ。」
「では、あなたさまは、なにゆえに、山口に来られたのですか?」
かな様は、不思議そうに尋ねました。
「義長公にございます。」
氷上は、はっきりと、そう申しました。
「拙者は、義長公の能舞の師にして、実はその監視役でござる。」
「義長様は、大友義鎮公の、実の弟君にございましょう?」
かな様は言いましたが、そのすぐあと、あっ、と声をあげ、両手で口を押さえました。
「そういうことでございます。」
氷上は、ゆったりと、笑いながら言いました。