第七章 高嶺の花々 (1)
かな様の舞の稽古は、次の満月の夜に始まりました。
なぜ満月の夜だったのでしょうか、そこには、何らかの理由があったはずです。なぜなら、それから先もずっと、二人が稽古するのは、いつも満月の夜でありましたから。しかし、氷上でなければ、その理由はわからないでしょう。
もしかしたら、満月のいっぱいの光が、堂上に目眩がするような空間を創り出すことを知ってのことだったのかもしれません。そのなかで舞うことで、人は夢幻の境地に陥りやすくなるのです。
または単に、義長公のまわりに侍する自らの務めとの兼ね合いで、氷上が不自由なく夜にここまで忍んでこれるのが、たまたまいつも満月の夜だったのかもしれません。
しかし、わたくしは思うのです。
その理由はおそらく、あの最初の夜、満月の光をいっぱいに浴びたかな様の瞳。その、あまりの麗しさを見てしまった氷上が、その美しさを、そっと独り占めしていたくてそうしていたのだと。
左座は、あの最初の夜に氷上とともに舞ったあとは、この稽古には全くついてこなくなりました。かな様が伴う下男も、常に麓の茶屋の軒先で控えております。のちには、戻りの刻限(たいていは、夜明けでした)が来るまで、いったんその場を立ち去り、また戻ってくるような塩梅となってしまいました。
よって、月が満ちるたび、あの峰のお堂で、氷上とかな様は、夜通しただ二人きりで過ごしていたわけです。しかし、なぜ満月の夜だったのか、その理由を氷上に確かめた訳ではございません。ここは、あなた様のご想像におまかせすることと致しましょう。
二人の稽古は、真剣なものであったはずでございます。なぜなら、その後、かな様の舞は、ごく短いあいだで、目を瞠らんばかりに上達なさいましたから。
わたくしは、とある満月の夜、鴻ノ峰の樹々のあいまから、お二人が堂上で稽古している姿を見ていたことがございます。それはもう、真剣なものでございました。やっていることは、摺り足、また摺り足。ただ、それだけでございます。なにか新しい技を教えるでもなく、変わった動きをつけるでもなく、ただひたすら摺り足、摺り足、摺り足。腰を落とし、ゆったりと、まっすぐに。そして堂の端まで来ると、足裏の力加減を都合して、さっと方角を変えられます。そして、また、摺り足。
氷上は、ただ脇に立ち、その動きを見ています。何も語らず、ただ真剣な目で、かな様の動きを、見ておりました。
氷上に稽古をつけてもらえる満月の夜はもちろんのこと、次に月が満ちるまでの数十日のあいだも、かな様は、身を寄せていた鄙の内藤家の離れの廊下の上で、毎日のようにお一人で稽古をしておりました。それはもう熱心に熱心に。
まずは、低く腰を落とす構えの所作を繰り返し試してから、その高さを保ったまま摺り足で進退し、右手で扇を指しつつ優美に左右の足を交差させ、するりと進む方角を変えてゆきます。やがて、身体に熱が入り動きが滑らかになってくると、序・破・急とで自在に緩急を入れ、やがてぴたりと動きを止めます。
いや、ただ止まるのではないのです。それは、動きが止まっているのではなく、自らの内から発する力と、外から身体にかかる力とが、たまたま釣り合っているにすぎないのです。すなわち、止まりながらも動いているのです。動いておりながら、静止しておるのです。それは、ただ見ているだけで、慄えを覚えるような所作でありました。
日頃は、ただこの稽古ばかり。こればかりを日がな一日、ゆるりゆるりと繰り返します。顔は真剣そのもの。かつては、小庭で武芸ばかり鍛錬しておいでだったのですが、このところはただ舞の稽古のみ。そのせいか、あれだけ日焼けしていた御肌もより白く、つややかになり、髪も伸びて、よりその美しさに磨きがかかって参りました。
かな様は、十七歳になっておりました。