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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第六章  月下の舞 (1)

「はっはっはっ!」

氷上は、いきなり笑い出しました。

「これはまた・・・安芸の姫君のお考えは、頓狂(とんきょう)に過ぎ、拙者にはとんと、わかり申さぬ。」


「どうした?さほどに可笑(おか)しき望みか?」

かな様は、やや不服そうに問い返します。

「い、いや・・・あの采女は、あちらの世から戻り来たった幽霊でござる。すでに現世(げんせ)の者ではございませぬゆえ・・・はたして、女子と申してよいものかどうか、それを考えておりました。」


ここまで言って、また吹き出しました。

横では、左座までが口の端を歪め、笑いを噛み殺しています。




言われてみれば、たしかに、その通りです。


頭ではその理屈に納得はしましたが、男二人に笑いものにされたことに腹を立て、かな様は、思わずむっとした顔をし、その薄く紅がかった頬を膨らませました。先ほどまでの、大人びた洞察や面白げに氷上を問い詰める口調はどこへやら。いまその顔を見れば、ただの十四、五の娘子(むすめご)です。


「はは、失礼し申した。あまりに突飛なことでござってな。」

氷上は、少し改まって、答えました。

「ありていに申しましょう。拙者が豊後で申楽(さるがく)に関わってから十余年、いまだ、舞台にて女子とともに舞ったことはございませぬ。しかし。」


「しかし?」

「それは、あくまで都から遠く隔たった筑紫洲(つくしのしま) (九州)での話。府内の大友館で、お公家様や武家の棟梁連の御前にて行われる、かなり(かしこ)まった舞に限ったことでございます。京洛(きょうらく)にては、女申楽(おんなさるがく)などと申し、女子だけで行う楽も舞もあるとは、聞いておりまする。また、下々の者が村や辻で舞い踊る際には、これは、もう当たり前のように男子も女子も一緒になっておるようで。」


「そうじゃ、この山口でも、辻能(つじのう)とか申し、そこらの町中で、妾と変わらぬ女子や、童までもが楽しそうに舞っておる。」

「されど、それは、我らの舞う舞とは、やや違うもののようで。」

氷上は、かな様の先走りに、にこやかに釘を差します。


「そもそも能とは、神楽や田楽、申楽、幸若舞(こうわかまい)など、さまざまな芸事を、みなまとめて指し示す言葉でございます。そこでの舞は、必ずしも我らの舞う舞には非ず。その多くはただ、似て非なるもの。」

真面目な目で、

「そもそも、下賤な者どもが村の中や田の(あぜ)で、泥や土を跳ね飛ばしながら気儘に踊る田楽(でんがく)の如き、舞であるより先に、踊りとすら申せるものかどうか。」


「それでは、あれは、何なのじゃ?あの、采女の舞は?」

かな様は、焦れて参りました。このところは、やや大人の分別もつき、ぐんと回数も少なくなりましたが、この少し棘を含んだ声音が出てくると、そろそろ、少しばかり荒れすさんで来る頃合いです。




氷上は、それを知ってか知らずか、包み込むような笑みを絶やさずに続けます。

「采女のみならず、我らの舞う舞は、そのすべてが大和の観世座(かんぜざ)に源を発します。今から百年も昔の話、世阿弥(ぜあみ)なる猿楽役者が大成した、夢幻能(むげんのう)と称される一連の題目ばかりを舞いまする。」


「夢幻・・・ゆめまぼろし、ということか。」

「さよう。演ずる話の筋は、題目が違うても、ほぼ似ておりまする。すなわち、あの采女のような、この世のものではないシテという幻が、旅人などこの世のワキやツレという者らに対し、昔あったことどもや、自らの満たされぬ思いなどを語り、舞い、やがて癒やされ消えて行く。だいたいが、斯様なことでございます。」


「そうか、それでは、おぬしの舞とは、(あや)かしの舞なのじゃな。」

かな様が、苛立ちついでに少し揶揄するような口ぶりで言いました。

「妖かしなどではございませぬ。」

氷上は少し困ったような顔で、

「幽霊とは、申せましょう。あるいは神。しかし、その多くはワキやツレに対し、(たたり)をなすようなものではございませぬ。もっと、より幽玄で、ただ穏やかなものでございます。」


「なにが、穏やかじゃ。」

かな様の激情が、そろそろお心を離れてひとり突っ走りはじめ、さらにぐらぐらと煮立ちかかっています。

「死んでしまった者らが、穏やかな想いばかりを持っておるわけがなかろう。この末世を見よ。あちらでもこちらでも、望まぬ死を強いられ、恨みを持って去らざるを得なかった者共ばかりじゃ。それらが、鬼や怨霊や妖怪変化の類にならずして、他になにになると申すのか!」


腹立ち紛れの言葉とはいえ、そこには、これまでかな様が見聞きしてきたことへの、娘子にはあまりにも酷な、辛く苦しい思いが込められていたように思います。氷上は、こんどこそ、本当に困ったような顔をして、黙ってしまいました。言葉そのものではなく、かな様の熱と必死な想いとが、氷上の心を叩いたのです。

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