第五章 うたかたの夢 (4)
氷上は、その左座をだしに使い、唐突に、こう申しました。
「これなる左座は、肥後隈本の生まれでございます。まだ幼きみぎりに、大友義鑑公と、菊池義武公との大戦に巻き込まれました。」
いきなり、なんの話か?
さすがのかな様にも、すぐと氷上の意図がわかりません。
「義鑑公と義武公は、姓こそ違えど、実のご兄弟。これは、それぞれ国をまるごとひとつ巻き込んだ兄弟喧嘩であったのです。まるで、古の観応年間、日の本を真っ二つに割ったとされる、足利高氏公と直義殿との争いみたいなもの。」
なるほど。おそらく兄弟喧嘩の例を出して、義長公とその兄、すなわち豊後の大友義鎮公との間柄についてなにか言う肚だな。
勘のいいかな様は、内心そうと当たりをつけましたが、今度ばかりはやや間違っておりました。
氷上は、言葉を続けました。
「義鑑公と義武公の兄弟喧嘩は、長期に渡る、熾烈なものになり申した。結果は、弟君の敗北です。いや、事実は、血のつながった兄上の軍勢に追い立てられ、筑紫洲のあちこちを逃げ廻っていたというのが本当のところ。」
そう言って、左座を見、気の毒そうにこう言い添えました。
「ただしその途次、肥後は戦嵐の野になりました。ただの兄弟喧嘩の巻き添えを喰らって、国内あまたの民草が犠牲となり、当時まだ幼子だった左座も、両親眷属をみな亡くし、食う物、着る物とてなく、荒野をさまよい、明日をも知れぬ身でございました。」
そして、かな様のほうを振り返り、その目をまっすぐ見て、こう言いました。
「かく申す拙者も、もとは武家の生まれ。実は大内に連なる、さる名族の出でございます。事情ありて海を渡り大友家に寄食し、明日をも知れぬ詫しく貧しい暮らしをしておりました。それをお救いくだされた、とある情け深き重臣の方がおられ、左座もこの氷上も、おかげでそれぞれいっぱしの者になり申した。」
「そうか、それは何よりであったな。それだけ立派になり、主君の危機をも救う機転まで身につけたは、そのご重臣にとっても嬉しきことであろう・・・。で、そちの言いたきことは、何じゃ?」
「すなわち、ここに集う三名、それぞれ出自は違えども、みなよく似たり。」
「似たり?」
「はっ。恐れながら宮庄の姫君も、あいや、かな様も、遠く安芸の国より逐われ給うた御身。われら男子二名は、それぞれ寄る辺なき、半端な武士くずれ。それぞれ、元は武家、いまは・・・何と申しましょうか、武家にあって武家にあらず、いわば、武家のようなもの、でございます。」
かな様は、これを聞いて笑い声を上げました。
「そちは、面白いことを申すのう。じゃが、言えておる。われら三名、故郷を逐われ、寄る辺なき、いわばうたかたのようなものじゃ。いつ、ぷくっ、と弾けて、消えてしまうかわからぬ。確かに、ようく、似ておるのう。」
「御意。」
「なるほど・・・うたかたじゃ。うたかた同士、仲良うせねばならぬまいて。」
「はっ。」
「案ずるな。そち等のことは誰にも言わぬ。そもそも、言うたとて妾には、なんの利もない。恩義のある内藤の利になるならばとも思うが、その内藤とて、いま真っ二つに割れ、なにがどちらの利になるのか、まるでわからぬ有様じゃ。」
かな様の言うとおり、先代が身罷ったばかりの内藤家においても、陶様にひたすら心を寄せるご当主内藤隆世さまら武断派と、かつての文治派に近い、経済利得の保全を第一義と考える一派の対立が始まっておりました。人の世とは、つねに、争いごとが尽きぬものなのでございます。
「そうじゃ。その、似た者同士のよしみで、頼みたきことがある。」
かな様は、突然、そう言い出しました。
「この妾に、能の舞を教えてはもらえぬかの?そちらの秘密を黙っておることの、いわば見返りじゃ・・・うたかたの、はかなき夢を見、これを寿ぐためじゃ。」
男二人は、この、次になにを言い出すかまったく予想のつかない姫君の言葉に、またも驚かされた様子でありました。あの無表情な左座の目までもが、今度ばかりは、いささか、丸くなっております。
「どうした?女子が舞を舞うのが妙か?」
きょとんとした顔で、
「采女とは、正真正銘の、女子であろうに?」
あのえも言われぬ、美しき笑顔で、にっこりと、そう付け加えました。