第五章 うたかたの夢 (2)
「それで。」
かな様は左座から目を放し、氷上のほうを向いて話を続けました。
「あのとき、そちは采女に扮していたのだな。妾が見たとおり。それに相違ないな。」
氷上は、困ったような顔で左座を見ましたが、やがて、観念したように申しました。
「はい。仰せの通りでございます。不覚にも紐が解け、面が落ちかけましたからな。すぐと扇で押さえた故、誰にもわかりはせぬと高を括っておりましたが・・・まさか、視て居られたとは。」
「隠し立てせぬとは、殊勝である。申しておくが、妾は、このこと他言したりはせぬ。だが、その仔細は尋ねたい。そのために来たのだ。」
ふう、と氷上はため息をつきました。そして言いました。
「義長公は、あくまでもご自身で舞われると仰せられたのです。しかし。」
「しかし?」
かな様が先を促します。
「尋常ならざる噂を耳にしましてな。」
横から、左座が答えました。
「杉伯耆守の一党が、能楽のさなか、お屋形様を襲うという風聞です。」
「杉どのが!」
かな様は、驚いて言いました。
背景を、ご説明いたしましょう。
伯耆守とは、杉重輔殿のことで、大内家累代の重臣、杉家跡取りの青年武将のことでございます。父、杉重矩殿は亡き義隆公股肱の重臣として知られ、かつてまだ義隆公が武将としての覇気に満ち満ちていた頃は、陶隆房殿と並ぶ大内家の武の双璧でありました。
とうぜん、武断派。陶殿とも歩調を合わせられ、例の謀叛の際は、陶や内藤とともに主君を討つ側に廻ったのですが、そのあとがいけませんでした。興盛殿同様、主殺しを恥じ、引き籠って隠棲してしまったのですが、もともと陶殿と折り合いが悪く、個人的野心から新政権にふたたび背く企てありとして、軍勢をさし向けられ討たれてしまったのです。
されど、本当の理由は、誰にもわかりません。杉重矩殿は佞人で、義隆公の生前、陶の企てを密告したことがあるからとも、あるいは謀叛の責任をすべて杉殿に被せてしまうための、陶様の策謀だとも。さまざまに言われますが、すべての方々が亡くなられた今となっては、もはや真実が奈辺に在るのか、わたくしはただ、考えれば考えるほど頭が痛くなって参ります。
ともかくも、このとき、陶に父を討たれた伯耆守が、その陶の担ぐ義長公を亡き者にせんと企てているという風聞が流れ、それを知った左座と氷上が、強く注進して公に舞うことを思いとどまらせたのです。
公は、短い挨拶だけには立たれましたが、その脇にも屈強な警衛の武士を侍らせ(そのうちの一人は、左座であったそうです)、長いあいだ御身を晒す能の上演中は、氷上が決死でその身代わりを務め、役が次々繰り上がることで空いた役に、多少の心得のある左座が旅僧の扮装で入り舞台上から客席を監視していたという訳でございました。
「采女の回向を穏やかに弔いながら、実は左座らは、穏やかならざる心持ちで、油断なく客人の席に気を配っておった訳でございますよ。」
氷上が、悪戯っぽく笑いました。
「さて、宮庄さま。」
氷上が、かな様に向き直って言いました。
「かな、で良い。かなと呼べ。」
「承知。宮庄の、かな様。」
「なんじゃ。」
「われら、すべてお教えいたしました。本来であれば、人には申さぬ秘密です。しからば、我らも、かな様にお尋ねしたい。」
「うむ。」
「このことを知って、どうなさる?なにが、お望みじゃ?」
「おぬし等が、ただの能役者や警護の武士でないことくらいは、妾でもわかる。」
かな様がいきなり、驚くべきことを言いました。
「すべて答えた、などと申しながら、まだなにか隠し立てしておることもな。だいたい、斯様な、ひと目につかない店の裏手で、稽古に見せかけこちこちと二人きりで何ぞ談合しておるなど、怪しいことこの上ない。」
かな様はここまで言って、凝っと氷上と左座の顔を見回しました。
木石のほうは表情を変えておりませんが、氷上の顔からは、あの微笑が消えておりました。
「なにか不都合あらば、斬ればよい。」
かな様は、こともなげに言いました。
「妾も武芸には多少の心得あれど、所詮は女子じゃ。そこなる左座殿には太刀打ちできまい。じゃが。」
「じゃが?」
氷上が、真剣な面持ちで先を促します。
「じゃが、左座殿は、斬らぬ。なぜかはっきりとせぬが、妾にはわかる。」
無表情な左座の眉根が、ほんの少しだけ動きました。
「先ほど、妾が連れてきた下女に対する気遣いじゃ。」
かな様は言葉を続けました。
「わざわざ座らせたであろう。これは、お主らの心根が、さほど悪きものではないことの顕れだ。なのでそち等は、妾を斬らぬ。」