第四章 仮面の下 (4)
「して、宮庄家の姫君が、拙者のような身分卑しき者に、如何なるご用向きで?」
「身分のことは、しばらく於け。妾は、この前のお館様の能舞の際に、脇でそれを見ておった。実に素晴らしい舞であった。」
「おお、あの折に!なるほど、得心がいき申した。たしかに、言わるるがごとく、お館様の舞はえもいわれぬ素晴らしきもの。日ごろ舞の師として接する拙者にとっても、誇らしく思える出来でありました。」
「あの舞で、多くの者らの心が落ち着き、大内への忠誠心が、いやが上にも増した。まさに偉功じゃ。」
「はっ、仰せの通り。祝着至極に存じまする。」
「まさに・・・偉功。その功はすべて、そちのものじゃな。」
にこやかな笑顔のまま、すこし、氷上の目が光ったようでした。
「はて。それがし、確かにお館様に多少の能の稽古をつけさせていただいたりは、しておりますが・・・それも、稀にでございます。殊に昨今は、お館様もたいへんにお忙しく。わが功などとは、まこと恐れ多き次第にございます。」
ここで、かな様は、にこっと笑いました。
この男、これほど涼やかな顔をして、おぼめかせおって。自分だけが知るこの謎の男の秘密を、ここで問い詰めてしまって良いものか。それとも、ここは胸に秘めておいて、このまま帰ろうか。
いや、そんなことはできない。なぜなら、自分は見てしまったから。この男の秘密を知ってしまったから。理由を、聞きたい。それを知るまでは、帰ることなど、できはしない。
これらのことが、一気に、かな様の頭のなかを経巡ったのでありましょう。
しかし、やはり、この心の中の物ゆかしさは押さえきれません。
結局、問い詰めることになります。
わかっているのに、迷ってしまった。
自分で自分の性質をよく知っているかな様は、たまさかの逡巡に、つい、おかしくなってしまったのでございましょう。
そしてその、あどけなき笑顔の、この世のものとも思われぬほどの美しさ!
午後の陽光に煌めく瞳の光、艶の入った御髪、ほどよく日焼けした肌。吸い込まれるような、魅き込まれるような。
氷上はつい、すべてを忘れて見とれてしまったのです。
これが、間違いのはじまりでした。
しかし、見惚れる氷上の気持ちなどなんら斟酌せず、かな様は言いました。
「化けたな。」
かな様は、面白がるように、言いました。
「化けた?なにが化けたのでございます?」
氷上は、合点がいかぬげに問い返しました。
「妾は、見たのじゃ。」
かな様は、遂に言いました。
「そちが、采女に扮した仕手じゃ。深井の面の下に、そちの貌が在った。妾は、しかと見たのじゃ。」
責めているような口ぶりではありませぬ。鬼の首をとったかのような得意げな風でも。どちらかというと、悪戯をした子供が偽りを申す理由を、優しく問う母親のような風情です。
氷上は、まだ柔らかく微笑みながら、しばし、困ったような顔になりました。少し、答えるのを躊躇っておりましたが、ふと目を上げ、口を開きました。
「あれなる男が、みどもの話を聞きたがっておるようで。」
そのまま、かな様の背後を見遣り、脇を通り過ぎて、行ってしまいました。そこは、様々な材木や彫りかけの面などを積んだ大店の蔵の入口。
氷上は、かな様に構わず、蔵の中へと姿を消しました。
そして、入口の脇には、黒く日焼けした古木のような男が、小脇に刀の鞘を抱え、むっつりと腕組みをしたまま立っていたのです。