第四章 仮面の下 (3)
申し訳ございません。またも、お話があらぬ方へと逸れてしまいました。
ともかくも、こうして居場所がわかり、かな様は、翌日には下女のおくま一人だけを伴って、とある面打師の大店に向かったのでございます。
軒先で笠を取り、店先に座っていた初老の手代に来意を告げると、氷上は店の裏手の蔵の中に居ると言います。左の脇に細い筋があるから、好きにお回りなさい、と手代は教えてくれました。どうも、内藤邸を出て鄙に住まうようになってからは着飾らず、そこらの娘と変わらない衣装をつけることの多くなったかな様を見て、役者贔屓の普通の町娘かなにかと思ったに相違ありません。
かな様が、言われたとおり店の脇に回り、小さな小川がちょろちょろ流れる路地をおくまとともにたどって裏手に見える大きな蔵の屋根のほうに回ると、いきなり、赤黒くいかつい天狗の顔が、ぬっ、と出てきました。
おくまが、ぎゃっと悲鳴を上げ、腰を抜かします。かな様も思わずたじろぎましたが、そこは日頃の武芸で鍛えた武家の足腰です。すんでのところで踏みとどまり、逆に腹の底から発する、あのいかつい大声で一喝しました。
「何奴じゃ!無礼者めが!」
さすがにこのときは、日ごろ手放さぬ木刀を持ち合わせておりませぬ。ぎろりと天狗を睨みながら、おくまに持たせた竹杖を奪い取ろうとします。
この剣幕に、天狗のほうが驚きました。
「わっ」
という、天狗らしからぬ澄んだ声が響き、すぐに右手が伸びて、天狗の貌をみずから剥ぎ取ったのです。
なかから、涼やかな笑顔が現れました。笑顔ですが、相当に驚いた顔です。
「も、申し訳ございませぬ。」
天狗だった男は言いました。
「つい、よくここへ遊びに来る馴染みの町娘かと見紛い・・・表の手代から知らせが参ったもので。ご無礼をいたしました。」
男は、この咄嗟に示された気合と度胸、そして凛とした一喝に、かな様がただの娘子ではないことを見抜いたようです。口調が、ひどく丁寧になりました。
「これは、一見でしたな。誠に失礼を。なにか私にご用とか?」
笑顔で、かな様に尋ねました。
「それは・・・それは何か?」
かな様の声音には、まだ、先ほど男を一喝したときのような凄みが残っています。しかしなるべく、つとめて静かに聞きました。
「これですか・・・ああ、ハハ、これは、小癋見ですよ。」
「こべしみ?」
「はい。能楽で、地獄の鬼を演じるときに被る面です。仕手という役者が被ります。斯様にいかつく、人を驚かすには一番なので、つい、馴染みの相手と思い、戯れてしまいました。なにぶんにも、申し訳ございませぬ。」
男は、そう言って小癋見の面を、両手を添えてかな様に手渡しました。
かな様は、ためつすがめつそれを見て、
「みごとな細工じゃ。つい、天狗に見え申した。」
「ハハハ、そうですな、しかし、その天狗には鼻がありませぬ。」
たしかに、見ると、小癋見の面には鼻がありません。いや、あるのですが、それは通常の能面と同じく、低く幅の広い鼻梁が、面に張り付いているだけで、天狗のような、そそり立った尖り鼻ではありません。
「さようか、戯れただけか。それなら構わぬ。こちらも、来意も告げずいきなりやって来て、無礼をいたした。」
この武家言葉を聞いた氷上は、自分から氷上太郎と名乗り、だいたいの身分と役割を口にしました。かな様も、自分が宮庄家の姫であること、安芸より逐われ、いまは内藤家の庇護のもとで暮らしていることなどを教えました。