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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第三章  海の向こうから来た男 (5)

日頃、読むものといえば(いにしえ)の軍学やら武術やら軍記の類ばかり、娘子らしいことといえばたまに下手くそな歌を詠む程度で、能楽にも上代の言葉にもたいして素養がなかったこのときのかな様にとって、正直なところ、「采女」の話の筋など、よくはわかりませぬ。それは、その場にいた多くの者どもにとっても同じことであったでありましょう。


ただ、その仕手が橋懸を渡るときの軽やかな足運び、端整な所作、そして絢爛たる舞の美しさ。そうした、主に目で見ゆる要素の破格の美しさに、かな様はまず、我を忘れるほど魅入られてしまったのでございます。


参集した皆に事前に知らされたところでは、この仕手は、大内義長公おんみずから演じられるとのこと。その所作、その舞。ひとつひとつの動きの滑らかさと細やかさ、そしてそこはかとなく漂う気品。さすが四州(ししゅう)を統べるべくお生まれになられた御大将よと、このとき舞台前に集まった多くの者が感銘を受けました。




しかし。


やがて、かな様は気づきました。


軽やかな足運び、端整な所作、やわらかな身のこなし。目の前で、美しい一連の流れを披露しているこの人物の動きは、日ごろ刀槍(とうそう)を振るい、弓馬(きゅうば)()くする人物のそれとは、違うのではないか。自らも日課のように木刀や木槍を振り回しているかな様は、ふと、そのように感じたのです。


大友氏という名門の子弟に生まれ、多くの配下に(かしづ)かれ、大きな邸宅の中でまるで植物のように扶養されているとはいえ、これらの武芸武術は、いわば大軍を統べるべき者の帝王学として幼時より徹底的に仕込まれるのが、乱世における武家の常識です。


槍を構え前に突く時の動きは、まずどっしりと腰を落とし、姿勢を低くして、脇に抱えた、長大な棒状かつ微妙に(しな)る面倒な構造物の釣り合いを取りながら、一気の気合とともにぐいと腹で()すことが肝要です。刀を振るうときも同様。まず腰を落とし、下半身の弾力で進退し、上体は脱力したまま目線を上下させず、腰と腹を支点に、全身の力を集中して刀身を一閃(いっせん)させます。


すなわち、武芸におけるどの動きも、その基本になるのは、前もっての意図した脱力と、いざ動作を起こす際の、一点の集中になります。そこには、大いなる、()りと()りがなければなりません。


それがただの習い事であったとしても、その動きの基本は、いちど覚えれば必ず身体のどこかに染み付き、ちょっとした日常の動作のはしばしに出てしまうもの。ところが、いま目の前で繰り広げられている流麗な舞には一切、この減りと張りが無く、まるでひらひらと蝶が宙を舞うかのように、ただひたすらに軽やかなのです。


かな様は、その鋭敏な感性で、目の前の人物が、武家の棟梁(とうりょう)ではないと見抜きました。いまは、わたくしがもっともらしく言葉でご説明しておりますが、このときのかな様は、頭でそれを考えたわけではなく、ただ身体の感覚だけでそのちぐはぐさを感じ取ったのでございます。




まこと、慧眼(けいがん)と申すべきでした。

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