第三十章 懺悔 (6)
そして、長いながい雌伏の末、氷上が戻って参りました。かつての、山口からの追放がこの私の卑劣な裏切りによるものとも知らず、自らに切支丹の神が課した試練と受け止め、その後の戦争による通交の途絶にもめげず、いや、むしろその戦争に乗じる形で、ああも見事な反攻を成し遂げたのです。
わが親友は、偉大な、信念と実行力とを持った男でした。
そしてあの日から、私たちのすべてが変わってしまいました。
そういえば、あのときのことに関し、まだあなた様がご存知でない事実がございます。あの哀れな細作、おたきのことでございます。
おたきは、かつての私や氷上同様、幼き頃に戦場で保護され、そのあとずっと吉岡長増殿に養われていた者でございます。齢が離れすぎておるため私は知らなかったのですが、豊後に戻ったあとの氷上、すなわち大内輝弘は、吉岡邸にて、おたきとは顔馴染みでございました。
慎重な吉岡殿は、氷上が、あなた様を想うあまりに本来の目的を忘れた時に備え、念のためにと、おたきを先んじて山口に送り込んでいたのでございます。
おたきは、そのまま市川邸に入り込み、その日に備えておりました。目的は、豊後と連絡しつつ、いざという時には我身を捨て山口奉行の市川経好殿を害し奉ること。
しかし意外にも経好殿本人は博多へと出征してしまい、あとに残ったあなた様が、あのときあくまで降伏を拒む気勢を示したことから、おたきは、日頃よき女主人と慕うあなた様を、私情を棄て弑せんとするに至ったのでございます。
ところが、何も知らない男が・・・かつてそのおたきと同じ境遇で同じような役割を負っていた男が、横からそのさまを見ておりました。すなわち、私、左座宗右衛門が、やけに目につくおたきの動きを警戒し、市川家に仕える武人として、その凶行を妨げたのでございます。
しかし実は・・・氷上が戻って参る前、奥座敷にあの蒼い勿忘草を置いたのは、おたきではございません。あなた様には信じがたいことではありましょうが、あれは元教様が置かれたのでございます。元教様は、家内に潜入してきたおたきを通じて豊後とやり取りし、やがて上陸してくる父・大内輝弘の存在を、あらかじめあなた様に印象づけようと画策されたのです。
おたきが語る、義父・経好殿のお討死の報を信じ込んだ元教様は、やがて舞い戻って参る自身の実の父上と、あなた様が再びご一緒に仲睦まじく暮らされることを心から望んでおられました。そのとき、あなた様がなるべく強情張って抵抗せず、素直に父上に従うように仕向けたのでございます。
このこと、決して間違いございませぬ。なぜなら、私は元教様が身罷られた、まさにあの晩に、周囲へ炎が廻る中、舞い終わり、扇を閉じた御本人から、それを直に教えられたのですから。
しかし元教様も、母の、経好殿に対する敬慕と家族に対する深き想い、そしてなによりも武家に生まれし娘としての誇りと気概とを、あまりに軽く見すぎていたようでございます。そして籠城初日、まさかあの林泉軒が、ああも大量の種子島を持って参るとは思わず、それを巧みに用いて私やあなた様がよもや父の大軍を撃退するなどとは思っておられなかったでありましょう。また、ご自身がその一軍の指揮を執る羽目に陥るなど、考えてもおられなかったでありましょう。
まこと、皮肉な顛末で御座います。天は皮肉がお好きなようで・・・天なのか、仏なのか、あるいは、氷上が信じた邪宗の神なのか。いずれにせよ、天上におわす尊き御方は、性質の悪い悪戯がとてもお好きな方のようでございます。これから私は、まっすぐ地獄へと参る訳でございますが、もしかして極楽も地獄と、そしてこの現し世と、さして変わらぬ場所なのかも・・・何卒、何卒、あちらでもご自愛くださいますように。




