第三十章 懺悔 (5)
しかし、それでは、私はどうなるのでございましょう?
この左座は?
平和を保ち、立派に任を果たし、人の期待に応え、なによりあなた様という宝物を手に入れ、幸せの絶頂に居る氷上。対して私は、その影でひっそりと、花すら咲かせることもなく、ただ黙って朽ち果てて行くだけの存在なのでございます。
ともに育ち、ともに語らい、そしてともに助け合って、生きて参りました。それなのに、それなのに・・・。
氷上は、なにも悪くはございません。この不公平、世の不条理を、私は誰にもぶつけることができませんでした。そして、ますますつのるあなた様へのこの思い。
申し上げておきましょうぞ。
左座は、木石に非ず!
人でござる。
あたりまえに血の通う、そしてどこまでも愚かな、ただの男でござる!
この愚かな男は、嫉妬と昏き怒りの命ずるがままに、いつしか心に鬼を飼い、その鬼に操られて、かくも卑劣な裏切りをなしてしまったのでございます。
わが報を受け、私を信頼する吉岡殿は、言う通りにしました。山口における任をすぐに打ち切れ。そして、ひとり豊後に立ち戻れ。氷上にだけその指令が飛び、同時に大内義長公にもその意が伝えられ、主命として公式に豊後への帰還が決まりました。
吉岡殿の意向には、たとえ義長公とて決して逆らえませぬ。氷上は悩み、悶え苦しみ続けましたが、結局、抗うことはできませんでした。彼は、一時のこととして単身での帰還を決断し、私は、目的を達しました。
しかし・・・氷上がいなくなっても、ただそれだけでは、あなた様はわたしのものにはならぬのです。わたしがこの胸のうちをお伝えできぬうちは、どうにもならぬのです。あなた様は、まだあの遥か高嶺に遠く咲く、我が手の届かぬ花のままなのです。
私は、昏き盲目の嫉妬の末、どうにもならぬことのために、終生の友を犠牲にしてしまったことに気づき、そのことを悔いました。自分の愚かさが嫌になり、自分の卑劣さを呪い、大内義長様に従いてただ無言のまま死のうとしました。それが、木偶の私にふさわしき最期でございます。しかし義長公の自己犠牲と叡慮に依りて命を救けられ、あろうことか、あなた様の次の夫となる方に拾われて、またここ山口に戻って参る仕儀と相成りました。
運命の悪戯。
それは、ただあなた様と氷上太郎との間にだけ在ったことではございません。あなた様はお気づきになられなかったでしょうが、かつて、あなた様の嫁入行列に附き従ったときの私の胸のうちは、千々に乱れ、掻きむしられるような苦しみに満ち満ちていたのでございます。
しかし・・・あなた様の夫は、よく出来た、あまりにもよく出来た男でございました。彼の人柄に心底惚れた私は、あなた様への想いを永遠に封印し、このまま、ただ市川家を護り奉る武人としてのみ生き、あなた様の血を享けた三名の子らを躾け、立派にお育てすることに終生をかけようと思ったのです。もちろん、元教様については特に。そうすることが、氷上に対する、私なりの贖罪にもなると思うたからでした。
あなた様への想いを封印し、ただ使用人としてお仕えし・・・いや、それは、私なりに幸せな日々でございました。そういえば、夫君から何度か妻帯を勧められましたが、私はそれを断り続けました。もしかしたら、そのときはまだ心のどこかで、まだあなた様への想いを捨てきれていなかったのかもしれません。