第三十章 懺悔 (4)
はるかな昔、月の満ちる晩。氷上とあなた様は、ここ鴻ノ峰の中腹に拓けた小さな平地に立てられたお堂の上で、ふたりで座り、肩を寄せ合い、さまざまなことを語り、笑い、そして泣いておられました。
そして私も、そこに居りました。近くの樹林の陰に潜み、そっと、密やかに、一晩中まんじりともせずに、そのさまを遠くからただ眺めておりました。
私には、その時は永く、永く、永遠に続くのではないかと思われました。
狂おしく、羨ましく、妬ましく。醒めた怒りの炎が、やるせない憤りのようなものが、この胸に、凍るような冷たさで、闇の彼方から吹きつけて参るのでございます。
暗闇の中に身を没してただ立ち尽くす私の耳には、二人が話している言葉など、聞こえはしません。しかし、そのときの私には、すべてがわかりました。あの時、あなた様は、氷上太郎のものでした。
あなたになにも言えぬ私は、嫉妬しました。この胸のうちを、この想いを、ありのままあなたにぶつけることのできぬ臆病者の私は、氷上を、終生の友と誓った仲のあの男を、わが昏き怒りの矛先としたのでございます。
あの柔らかな微笑み、生まれながらの家柄と人品、人の心を瞬く間に捉える、えも言われぬ人としての魅力。それまでは、友として大いに認め、敬っても来たあの男の美質は、その時からすべて私にとって忌まわしきものとなりました。
私は、あの男の未来を閉ざす方法を思い付きました。それは実に簡単なこと。豊後の吉岡長増殿に、このことをただ有体に報告するだけで良いのでございます。安芸国から来た見目麗しき姫君に、氷上が蕩かされ、腰砕けになっている。氷上が転向べば、山口に潜入した我らがみな危機に陥る。早々に召喚すべし。家柄尊きあの男には、まだ他に利用価値やあらん!
吉岡殿に・・・そして後にはあなた様に。私はそのとき、許されぬ嘘をつきました。氷上は決して、腰砕けなどにはなっておりませなんだ。あなた様への、愛は愛。しかし、吉岡殿より申し含められた、任は任。彼は、そのふたつをきっちりと分け、仕事を立派にこなしておりました。
任を放擲し、役目を抜け、あなた様とともに舞の道場主で生涯を終えたいなどと、彼はそのようなたわけた弱音を、一度も吐いたことはございません。
彼の望みは、山口で立派に任を果たすこと。
大内義長公の監視役として、また諜者として。大内家、大友家のあいだに波風の立たぬようしっかりと目を配り、身分高き者どもには舞を通して誼を通じ、また道場を建てて町雀どもの噂話にも耳を傾け、よからぬ企みや、なにか危ない火種でもあれば、それがまだ小火であるうちに手を打って、これを消す。
そうして、両国を統べるご兄弟の間を取り持ち、いつまでも両国の安寧を保つこと。無意味な人死や戦乱を未然に防止すること。山口を平穏のうちに、また天下一等の繁栄に導くこと。これこそが、氷上の望みであり、これこそが、彼の日々やり遂げていた仕事なのでございます。
おわかりでございましょうか・・・のちに市川経好殿が、毛利家の山口奉行として、別のやり方で行った役目を、氷上も人知れず果たしていたのです。大内の血筋を受け継ぎ、大友にて育った彼はまさに、海峡を越えた繁栄と平和の鎮護者であったのです。