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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第三十章  懺悔 (3)

晩年のあなた様の隠棲(いんせい)を陰ながらお支えしたうちの一人、山内林泉軒(りんせんけん)は、いまでも健在でございます。


毛利家、市川家の庇護(ひご)のもと、西国との交易に腕を振るい、かつての敵国、豊後とはさまざまなつながりを持ち、之によりて大きな利を得ておるとか。いつの間にやら斯様な(つて)を、とか、いまさら問うのも無粋と申すもの。あの男のこと、またうまく差配して、何やらすれすれの商いでも続けておるのでございましょう。


林泉軒も、表立っては申しませんが、幼きみぎりよりあなたを怖れ、憎み、しかしどうしようもなくあなた様に魅かれ続けていたのです。


あの男にとってあなた様は、永遠の高嶺(たかね)の花。かつての林泉軒であれば、虚栄の心を満たすため、弱り切った晩年のあなた様をわが手に入れようと、何やらよからぬことでも画策したかもしれませぬ。


しかし、今のあの男は、決して、そうしようとは致しません。


何故ならあのとき、抜荷(ぬけに)の種子島を高嶺(こうのみね)の城へと大量に運び入れて来たとき、林泉軒は、遥かな高みに、仰ぎ見たのでございます。櫓門の上に堂々と立つ、あなた様の美しき、どこまでも神々しき姿を。


それは、手に取ろうとしても取れぬ、高嶺の花。手を伸ばしても触れられぬ、禁断の花。あなた様をただ仰ぎ見ている限り、林泉軒は、よき人間でいられるのでございます。しかし、身の程をわきまえず、いったんあなた様をわがものとせんと図るや、(にわか)に運は尽き、奈落の底へと墜ちていってしまうのでございます。(さと)彼奴(きゃつ)めは、そのことを、あの籠城の日にはっきりと悟ったのでございましょう。




その林泉軒の支えにより、私は七年ものあいだ、あなた様のもとでひっそりとお仕えして参りました。私は、この山中の寂しき(いおり)を整え、粥を()き、落葉を掃き、月の出る夜には庭に出てひとさし舞うなどして、病魔に冒されたあなた様のお目を(たの)しませることに努めてまいりました。


元教様ご生害のあと、あなた様の心は、すっかり草臥(くたび)れ、(こわ)れてしまわれました。かつての聞かん気も影を潜め、あの深い海の如き優しさもどこかへ消えてしまい、あなた様はただ移ろう日々を、ただ(ぼう) っと過ごされるばかりで御座います。そして、そんなあなた様を、次々と病が襲い、取り付き、責め苛みました。


しかし庭に出て、月の光の下で私が舞うときにだけ、あなた様の瞳は(うる)み、きらきらと輝き、月や星々の光を映しながら、どこか遠くを見ておられるのです。


その目の先には、いったい、何が映っていたのでございましょう。あの幸せな、三人の子らとのひとときでしょうか。つねに心優しき夫であった、経好様の温顔でありましょうか。それとも、あの若き氷上太郎の、人の心を魅きつける笑顔でございましょうか。

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