第二十九章 采女 (4)
春日大社の静かな森の奥深く。旅の僧らがそこに分け入り、樹々の合間に覗く月光の美しさを愛で、世を寿ぎ、神々を讃え、ただ一心に木を植える女に出会います。一行は、その女に連れられ、幽玄なる猿沢の池へと至ります。すると女は、帝のご寵愛が薄れたことを悲しみ、激情のあまりこの池に身を投げた、ある采女の物語を語り、そして自分こそがその采女の霊だと告げ消え失せます・・・やがて、帝は過ちに気づいて懺悔の歌を詠み、僧らは読経してその菩提を弔い、当の采女はすべてを赦して、ただ穏やかな回向の旅へと向かいます・・・
なんど、見たか。
なんど、舞ったか。
なんど、この子に教えたか!
元教様の舞は、嫋やかで、軽やか。かつての実父の舞が、まさにそれでした。そして、どこか儚げで、優美で、芯が強くて。これは、そうだ、かな様の舞ではないか!そしてどこか重みがあり、無骨で、緩と急のついた、絶えず移ろう虚しさが漂い・・・。
これは、わしだ!わしの舞だ!
元教様のなかに、儂ら三人が、同時に息づいている。儂ら三人が、同時に生きておるではないか。かつて共に暮らし、生き、ともに笑った儂らが、元教様のなかで、ひとつになっておるではないか!
死んではならぬ。死んではならぬ!
元教様が死んだら、儂ら三人も、同時にみんな死んでしまうではないか!
やがて、元教様は静かに舞を終え、その場に威儀を正して、眼前にいる舞と人生の師に対し深く一礼しました。そして、やにわに片肌脱ぎになると、懐中より短剣を取り出し、こう言いました。
「ざざ。介錯頼むぞ。母のことも、よしなに。そしてもちろん、父のことも。」
にっこりと、笑いました。左座を見て、笑いました。
あの頃の、満月丸さまの頃のままの瞳で。
父親の率いる討伐隊が元教邸に至ったとき、左座はひとり門前の地べたに座り、ただ呆けたように何もない虚空を眺めておりました。脇には、布に包んだ元教様の頸が置かれており、開け放たれた門扉の中から黒い煙が漏れ、木の燻る匂いがし、奥の方でなにかが爆ぜる音がしました。やがて邸宅全体に火が廻り、あたりは黄色く照らされて、風にそよいだ火影が、悪戯好きな魔物のように、皆の顔の上を舞台にして勝手気儘な踊りを踊り始めました。
経好殿は、何も言わず、左座宗右衛門の傍らに置かれた布の包を両の手に取り、その前に跪き、胸に抱えて、泣き始めました。その場で背中を海老のように折って、地べたに鬢を擦りつけながら、ただ泣き咽びました。いつまでも。いつまでも。
一同粛然として声もなく、ただ崩折れる主の姿と、地べたにぺたんと座る左座の姿を取り巻いて、ずっとそのさまを眺めておりました。
以上が、あの哀しい夜の顛末でございます。
市川のお家は、この夜を限りに、ばらばらになりました。
病床で襖越しに悲報を聞いた市川局は、誰かが入ろうとすると鋭い声でそれを制し、闇の中で黙って、ただ耐えているようでございました。誰も、泣き声を聞いたものはおりません。誰も、子を呼ぶ母の声を、聞いたものはおりません。襖の向こうはただ閑とし、いつまでも静まり返っておりました。
翌日、局は籠に乗りて邸を出で、宮庄以来仕えるわずかな供回りだけを連れ、鴻ノ峰の麓にある小さな庵へと居を移しました。そしてそのままずっとそこにて起居し、生涯二度と、夫とは会おうとしなかったのでございます。
市川経好殿は、その六年後に亡くなりました。
山口奉行として、清濁併せ呑む器量と、すべてを見通すかのような鋭い洞察力とに裏打ちされた手腕をその後も存分に発揮し、名奉行の名を恣にいたしましたが、なぜかいつまでも局を離縁しようとはせず、側室を上げることも致しませんでした。二人の子らと、家中に残った僅かな使用人たちとつつましやかに暮らし、眠るように穏やかな最期を迎えたと漏れ聞きます。
戦乱の巷と化したこの町を西国随一の富強なる都へと再建し、多くの人々の暮らしに平和をもたらし、毛利家随一と讃えられたこの男の葬儀は、町をあげての盛大なものでございましたが、そこに局の姿を、ついぞ見ることはありませんでした。
左座宗右衛門は、あの夜以来、何も言わず、ただ蹌踉として邸内を彷徨い歩く幽鬼のような存在になっておりましたが、ある日、とつぜんその姿を消し、行方知れずとなってしまいました。豊後に帰ったとも、人知れずどこかの山中で自裁したとも、あるいは姿かたちを変え、いまでもひっそりと山口のどこかで市川家の行末を見守っているとも、さまざま噂されましたが、その後の彼を知る者は、誰ひとりとして、居りませんでした。




