第二十九章 采女 (3)
「ざざ。福原殿の使者を返したあと、家中の者にはすぐと暇を出し、巻き添えにならぬよう急いで山口の外へと散らせておる。だから、邸内にいまは誰も居らぬ。お主と、儂だけだ。二階は、広き座敷になっておる。」
そう言って、左座の袖を引き、邸の奥へと歩いて参ります。
「父上の一隊が着到するまで、しばしの猶予があろう。それまで、お主に習うた、舞の仕上げをしたいのじゃ。」
「この危急に、なに言っとるんじゃ!」
思わず、左座が元教様を大声で叱りつけました。
昔、誰の目もないところでは、よくこうして左座に厳しく怒鳴られたものでございます。元教様は、悪戯を見つかった子供のように少し肩をすくめ、目を伏せて笑うような仕草をしました。そのさまは、まるであの頃の、まだ満月丸という名だった頃のままでございます。左座は、泣き出しそうになりました。
「儂の、今生最後のたのみじゃ。聞いてくれろ。いや、見てくれろ。お主に習った、あの舞じゃ。采女の舞じゃ。」
元教様は、少しだけ、この厳しき人生の師の機嫌を取るように言うと、大座敷に左座を引き入れ、座るように促しました。そして、自らは座敷の真ん中に進み、ふうと息をついて下を向くと、やにわに顔を上げ、扇を開いて、ぐっと腰を落としました。
そして、低い声で謡をうたいながら、摺足を左右交互に動かし、座敷を優美に進退しはじめました。演目は、左座もよく知る、あの「采女」。かつて、大内義長公の身代わりとなりて氷上太郎が舞い、この左座自身が氷上と舞い、そのあとかな様が氷上とともに舞い、そして生まれたこの元教様に、この左座が授けた、あの舞でございます。
元教様と最後に舞ったのは、いつだったか・・・幼き弟二人とともに、まだ満月丸様といっていた頃、元教様が舞い、徳丸様がついてこれずに泣きじゃくった、あの日だっただろうか。
いや、あの日、儂は脇で見ていただけじゃった。泣きやまぬ徳丸様に、満月丸さまが冴えた計策を授け、かな様が出てきて本気で舞おうとした。儂は、逃げた。逃げたが、愉しかった。幸せだった。しかし、あれは失敗じゃったな。逃げずにおれば、あのまま、かな様の久方ぶりの舞を、儂も見ることができたのに。
でもそれでも、みんなが笑っていた。太郎様も笑っていた。かな様も笑っていた。そして、経好様も笑っていた。みんなが、心の底から笑っていた。
あの幸せ、あの安らぎは、何処に行ってしまったのだろう?
そして今、そのとき心の底から幸せそうに笑っていたあの父親が、我が子を討ちにやって来るのだ。血は繋がっておらずとも、後継に据え、廿年に近い歳月をともに暮らした、かけがえのない我が子を。逃げればよいものを。消えてしまえばよいものを。
それなのに、元教様は、敢えて従容と父に討たれるお積もりなのじゃ。なにゆえじゃ?なにゆえじゃ?
そして、最後の最後に、わしに見せると言うて、この采女の舞なぞ舞うのじゃ。なにをしておるのじゃ、おぬしは、いったい、なにをしておるのじゃ!
左座は、ただぼろぼろと涙を流して泣きました。洟が垂れ、涙といっしょになって畳の上に落ちました。元教様の舞なぞ、もう見ては居りませぬ。しかし、見なければならない。この舞を、わが瞼の裏に、灼きつけなくてはならない。元教様が、この世に生きた証じゃ。この儂に遺してくれる形見じゃ。見ることのできるのは、儂だけじゃ。儂だけがこの舞を見て、そして、あとで局に知らせねば。かな様にお伝えせねば。この息子の、天晴な舞を。天晴な最期を。