第二十九章 采女 (1)
ああ・・・やはり、語らねばならぬのでしょうか?
あのことを。これまで語ったどの悲劇よりも辛く哀しい、あの出来事を。思い出すたび涙が溢れ、この世の無情と人の生の儚さを思わないではいられない、あの悲しき、とても悲しき事件を。
前にも申しましたが、天に道はなく、神に情けはありません。仏に慈悲もございません。この世には、ただ虚ろで昏く、底のない人の心の闇があるばかりでございます。
仕方ございませぬ。もとは私が語り始めたこの物語。もう、あまり残された時間もございません。勇を鼓して思い返し、この私が語らねばなりません。あなた様はお辛いでしょう。しかし私も、また辛いのです。とても辛いのです。しかし気を励まして、最後に一度だけ、このこと物語いたしましょう。
乱の鎮定から八年と、半歳ののち。山口の町は落着きを取り戻し、商いは栄え、また昔のような繁栄が、表向きには戻っておりました。毛利家は、西の大友家と和約を交わし、あの長く空しい戦役はここに正式に終わりを告げたのですが、その頃には、東から、より巨大で強力な敵の影が迫っておりました。
都を押さえる織田信長公が、中国路にもその牙を剥き出し、すでに播磨や備州、美作などで織田と毛利の戦端が開かれておりました。戦は一進一退、毛利軍は、優れた軍略と調略の冴えとで、織田の前線司令官、羽柴秀吉殿との鍔迫合いを繰り返しておりました。
いっぽう、ここ山口は平穏無事。以前のような不覚は取らじと、海からの防備と警戒は完璧で、すぐと差し迫る脅威は、ございません。市川経好殿は、かつての山口奉行としての実績をふたたび見込まれて、今度は戦地には駆り出されず、ひたすら内政に専念する日々でございます。市川家には、当座のところ、なにも心配はない筈でございました。
ところが・・・。
ある夜、市川経好殿は、おなじ毛利の文官、福原貞俊殿の訪問を受けました。なんの予告もなく、数十名の武装した兵らを連れた福原殿は、浅黒い顔を引きつらせて、経好殿にこう言ったのでございます。
「貴公の長子、市川元教殿に謀叛の兆しあり。このこと、まだ表沙汰にして居らず。早々に手を打ち、先ずこれを討たねばなるまい。」
福原貞俊殿は、峻厳かつ実直な、経好殿がこの世でもっとも尊敬する文官の鑑のような御方です。貞俊殿に限って、斯様なことで虚言を弄すようなことはございません。経好殿は、しばらく、痺れたように黙って立ち尽くしておりましたが、やがて貞俊殿から謀叛の詳細を聞くと、観念して、自分の軍勢を急ぎ呼集するように命じました。そして、貞俊殿にこう言ったのでございます。
「福原様、内々にお知らせ、痛み入る。このこと、市川家内部のこととして、早々に処断致す。後日、御屋形様にはよしなに申し開きさせていただきたく。」
福原貞俊殿は、経好殿のその言葉に、沈痛な顔で頷きました。その廿年ほど前、長門国で、大内義長公にこの二人で死を与えに行ったときのことを、貞俊殿は思い返しておりました。あの時、まだ経好殿は駆け出しの若侍。あまりに辛く厳しい任に腰が引け、青ざめておりました。だから、死を言い渡すのは、すべて福原殿が行いました。しかしそのときは、この心優しい若者が、まさか、後に自分の子を殺めることになるとは、思ってもみないことでございました。
しかし・・・元教は、経好の実の子ではない。福原殿は、そう自らに言い聞かせ、我身を慰めました。実の子同様に育てて来たが、実の子ではない。だから・・・哀れなのは、実の母だ。あの高嶺城の武神、毛利の滅亡を間際で救ってくれた功労者。しかし、常に人の想像を越えることを成す、この上もなく危険な女でもある。彼女がこのことを知ったら、いったい、どのような挙に出るであろう?
福原殿は、敢えて冷たい視線を経好殿に投げかけ、こう命じました。
「奥方に、敢えて相談無用。このこと、しかと弁えよ。」
「畏まった。」
経好殿は、凍りついたような顔で、そう答えました。