第二十八章 悪名 (4)
しかし、そのようなことはみな所詮、小さきこと。局にとっては、より大切な、喜ばしい出来事がございました。討死が報じられていた夫君の市川経好殿が、混乱を極めた九州の戦地から、無事に帰還して来たのでございます。乱戦のなか行方知れずとなり死線を彷徨った経好殿は、なんと毛利軍が全軍撤退したあと、数ヶ月後に大友に捕らえられ、当座の和約の徴として身柄を解放され、山口へと戻って参ったのでございます。
馬の背に揺られて、数年ぶりに帰還した夫の姿を、父の姿を、山口に残った母子は、涙を流しながら迎えました。
しかし・・・過酷な戦場をくぐり抜けて戻ってきた市川経好殿は、もはや、昔のままの彼ではございませんでした。日頃の温顔は、あの頃のまま。相変わらず頭の回転が早く、人の気持ちもよく斟酌し、座の空気を和やかに保つあの人柄は、一見、なんら変わるところがございません。
ところが、夜中、突然汗びっしょりになって目を覚まし、何ごとか他人にはわからぬ言葉を喚き出したり、日頃は温和な性格があるきっかけで一変し、なんの前触れもなく怒り出したり、使用人や子供らや、遂には局にまで拳を上げ、激しく打擲するような挙に及ぶことがございました。それは、まるで、仏の温顔にとつぜん魔物が取り憑くような怖ろしさでございます。
斯様なときは、どこからか寄ってきた左座宗右衛門が背後から経好殿に組み付き、その膂力で抑え込むと、耳元に口を寄せ、何ごとかを二三事吹き込みます。すると、経好殿は落ち着き、安心したような顔に戻って、そのまま目をつぶり、その場ですやすやと寝入ってしまったりするのです。
そのあと左座は、怯える家族にこう説明しました。これは、過酷な戦場をくぐり抜け、心を傷めた者がときに罹る病であると。あまりにも酷く、あまりにも怖ろしい思いをした心優しき者にだけ取り憑く病だと。
病だが、これを治す薬はない。治せる薬師もいない。時だけが、ゆるやかに心の傷を癒やし、これをゆっくりと塞いで行く。しかし、それにはとても長い時間がかかる。
治りきらぬままに、死んでゆく者も居る。変わり果てた我身を呪い、正気のあるうちにと自裁に及ぶ者も居る。愛する家族を傷つけ、大切な人々に危険を及ぼす我身を滅ぼそうと、同じことをする者も・・・しかし。
しかし、と左座は強調しました。経好殿ならば大丈夫。経好殿ならば、その強き意志の力と、極めし理知の働きとで、きっとこの心に棲みついた鬼と対峙し、いつかそれに打ち克ち、追い出すであろう。それを待つのだ、それを待つのだ。
市川経好は、戦っておりました。戦場から戻っても、まだ戦っておりました。いつまでも、戦っておりました。なにと戦っているのか、わからないまま、ぼろぼろになった自らの心と、昼となく夜となく、組打ちしておりました。
ようやく小康を得て、政務に戻れるようになったのが、約半歳ほどの後のことです。
激情の暴発を自らの意志で抑えられるようになり、そのことへの安堵からか、常なるあの温顔が戻り、口元に笑みが戻りましたが、眼の光が昔とは少しばかり違っているようでした。感情の起伏がなくなり、その振舞いには、落ち着きというよりも、減りと張りのない虚ろさが漂うようになってしまいました。
家族はただそっと、この戦の哀れな犠牲者の脇に着座し、その疵口に触れぬよう常に心しながら、ひっそりと毎日を送るようになったのでございます。戦の前には、この上もなく幸せだったこの家族に、二度とそうした日々が訪れることは、ありませんでした。




