第二十八章 悪名 (2)
しかし、私は思うのです。
戦は決して、綺麗事ではございません。白刃が火花を発してぶっつかり、矢が飛び、弾丸が唸り、そしてその先に居る人間は、死ぬのです。血が舞い、肉が裂け骨が砕けて、それまで人間だったものが、あっという間に、ただの肉塊に化してしまうのです。
我が方は僅か百三十六名、いや、五名でした。
尋常な戦い方では、勝利はおろか、敵勢を一刻たりと支えることもできなかったでございましょう。なにか、常ならぬ力が味方して、常ならぬやり方で戦わなければ、あの六千の大軍から、山口を守り抜くことなど、到底、できなかったでありましょう。
たしかに、そのやり方は残酷でした。おたきは哀れでした。しかし、局がこれを敢然と行ったことについて、天に恥じるべき所など、なにひとつとしてございません。戦は、綺麗事ではないのです。どんなことでもして、勝たねばならぬのです。それが、たとえ天道に外れる獣道を征くことなのだとしても。
おたきの頸を斬ったことで、そしてそれを投げつけたことで、局は、高嶺城に籠もる兵らを救いました。そして、総攻めの際には早合撃ちでさらに膨大に生じたであろう、大内兵の犠牲をも、最小限にしたと言えるのでございます。
おたきの頸は、数多くの敵味方の将士の命を救いました。それは、むしろ人の道に叶い、むしろ人の命を救う、佳き行いでございました。
私は、そう思うのです。残酷なのは、うわべだけのこと。恵心和尚は、より深き思慮で、より深きところにある真実を、虚心に見つめなければなりません。
もちろん、局があのとき、そこまで考え、強く意識を以てそれをしたとは、私も思いませぬ。あれはなにか、なにか別のもの、なにか猛々しく、禍々しく、そして毅い力が局に憑いて、または降りて、局の身体を使って、やったことなのでございます。
それはあたかも、穏やかで美しい若女や増女の面を被った能役者が、とつぜん振り返るや怖ろしい般若の面になりて、悪鬼の如くに激しく禍々しく舞い狂うようなものでございます。そして、用が済むとその鬼は局の身体を離れ、あとに残された局の肉体はただ嘔吐して、倒れてしまいました。
おそらく、市川局、かつてのかな様のそれまでの人生は、このときのため、ただこの一日だけのために在ったのでございます。この凄まじい一日のためだけに天から命を降され、この一日にその絶頂を迎え、およそこの世に有り得べからざる奇蹟を起こしたのです。
局は、戦ったのです。そして、勝ったのです。
熱にうなされ、汗にまみれた市川局を載せた輿は、城兵に担がれ、高嶺城の城門を出てそのまま、市川邸へと帰還いたしました。
大内輝弘は、その言葉のとおり、この邸宅はじめ、山口市街のほとんどに手を付けず、町は往時のたたずまいを静かに保っておりました。ごくわずか、輝弘に従い海を渡って来た切支丹兵の一部が寺社の建物の一部を毀損したり、仏像を倒したりするようなことはございましたが、これほどの兵乱で、かくも被害僅少だったことはございません。国清寺にて匿われていた、市川局の下の子ふたりも無事に解放され、その日のうちに邸に戻ってまいりました。
市川局は、数日、意識を喪い、汗を多量に発して大声でうなり続けました。たまに、なにか譫言のようなことを口走りましたが、誰にも、その言葉を聞き取れるものはおりませんでした。
ある日、汗みずくになった局の身体を拭こうと、侍女が固く握られた局の拳を丁寧に開くと、中から、黄色く枯れて、なかば朽ちた花びらのようなものが、手汗でぐしょぐしょに濡れたまま、はらりと出てきたそうでございます。
それが、局が密かに懐中に隠し持っていた、あの蒼い勿忘草のかけらであるということに気づいたのは、左座宗右衛門と、傍らに居た三人の子だけでございました。




