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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第二十七章  儚き夢のおわり (5)

なぜなら、大内勢の陣に、噂が流れ始めたからでございます。


赤間ヶ関に居た毛利元就公が、この変報を聞くや即座に決断し、九州へ渡海していた味方の全軍に総引き揚げを命じたと。そして、四万を数えるその大軍は、追いすがる大友軍の激しい追撃を(かわ)して、なんとか門司より海峡を(わた)って撤収し、いま海のこちら側で軍を整え、再編成中であると。


北からは吉見勢が、東からは安芸の留守居の勢が。そして、劣勢に恐れをなして再び毛利への寝返りを決めた村上の三島水軍が、いちどは開けた海をまた塞ぎ、大内勢の豊後への撤収を不可能にしてしまったと。


全軍の集結、再編成を待たず、勇猛果敢をもって鳴る吉川元春殿の指揮のもと、復仇に燃える約一万の大軍が、すでに長門を発ち、大内の叛乱軍を(みなごろし)にするべく、ごくごく間近にまで迫っていると。


次々と流れる噂は、そのことごとくが真実でした。




やがて、吉川軍の先鋒が砂塵を蹴立てて山口郊外に到着、一方的な会戦で、十日前の勢など見る影もなく衰弱した大内軍を、あっという間に破砕いたしました。大内輝弘の周囲を固めた忠実な死兵たちは、最後の最後まで勇敢に抗戦いたしましたが、今や、彼ら自身の兵力が僅か数百に減じていたのでございます。怒りに燃え、長門より一気に駆けて戦意旺盛な吉川軍は、彼らの(こう)を一切受け入れず、無慈悲に、徹底的にこれを殲滅いたしました。


大内輝弘は、息子の武弘とともに、いったん上陸の地、秋穂浦に逃走しましたが、そこにはすでに船影などございません。切支丹の輝弘は、なおも生を諦めず、残り僅か百名ばかりとなった味方を収容できる船を探して東に向け逃走を続けました。しかし、いったん劣勢となった彼らを救けるものは誰もなく、逆に、周防のあちこちから毛利家へ忠勤を励む者どもがわんさと湧いて出て、彼らの行方を妨げました。


遂に、浮野の峠で万策尽きた輝弘は、切支丹でありながらそのまま自害したとも、あるいは、最後に斬り込みをかけ、乱戦の中で息子とともに人知れず果てたとも言われます。その最期は明らかではございませんが、輝弘と武弘、親子二人の頸が、そのすぐあと毛利元就公の本陣に届けられたのは確かなことでございます。元就公は、海を越えてやってきた勇敢な敵将を手厚く弔い、ここに大内輝弘の乱は、終結したのでございます。




いったんは掌中(しょうちゅう)より失ってしまった、高嶺の花。それを十二年ののち、また取り戻そうと、氷上太郎は海を渡り、希望に胸を膨らませながら山口へと戻って参りました。


花は、確かに、まだそこに咲いておりました。


しかしそれはかつてとは違い、遥かな、あまりにも遥かな高みに咲き、もはや氷上の手の届かぬものとなっていたのでございます。そして、花を(つか)み損ねた者、掴めぬ花を無理に掴もうと手をいっぱいに伸ばしてしまった者、ひとりの例外もなく、こうした者らを襲う運命が、彼をも襲うことになりました。




氷上は、()ちて行きました。眼下の奈落へと。失意と絶望の淵へと。極楽転じて地獄へ。世にも稀な有為転変(ういてんぺん)の運命に翻弄された氷上がこの世で最後に見たものは、いったい、何であったのでございましょうか。

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