第二十七章 儚き夢のおわり (4)
六千名と百三十五名。
古今の歴史に前例のない圧倒的な兵力差を埋め、出来損ないの古城に急ぎ籠もっただけの少数の軍勢が、かくも巨大な大軍を止め、その後なんと十日間ものあいだ耐え抜くことができたのは、ひとえに、戦の初日、天から降臨したかのような戦の女神が、まさに夜叉さながらの所業で敵将の抱いていた甘い幻想を砕き、その精神を根底から破壊し去ったからなのでございます。
息子とともに帰陣した大内輝弘は、もはや、戦意を失った蝉の抜殻に成り果てておりました。その日の昼過ぎまでは生き生きとしていた彼の眼は、光を失い、配下になにか問われても、ただどんよりとした視線を投げるだけでございます。
全軍一気の総攻撃があちこちから具申されましたが、うわの空の輝弘は、ただ、力なくそれを却下し続けました。曰く、
「まだ、まだ和議の余地がある」
「敵勢の火力、侮り難し」
「吾、敵城をよく識れり。天険を恃む無類の堅城、軽々に寄せたるは禍あり」
「女子の大将を戴く敵勢を鏖殺せば、大内の行末に幸あらず」
「いましばらく様子を見、敵勢降を乞わば、これを容れん」
一時旺んであった大内軍の気勢は、その日を境に、だんだんと萎れていってしまいました。新たなる大内家の勃興を、新たなる山口の建設を夢見て集ってきた男たちは、敵の小勢に萎縮していつまでも動かぬ大将に愛想を尽かし始め、にわか仕立ての大軍の軍規は緩み、統制がとれなくなってゆきました。
ひとり去り、ふたり去り。やがて、集団でこの大軍から離脱する者らが出はじめ、遂には一手の将が、隊ごと抜け出て帰郷してしまうような事態が起こり始めました。ある将なぞ、白昼堂々と軍議の席で輝弘を詰り、そのまま隊を率いてどこかへ消えてしまいました。
去り際、彼はこう言い捨てたのでございます。
「海を越え、わざわざ余計な波風など立ておって。我らに、虚しき夢なぞ見せおって。汝らの所為で、危うくなるはまたも我らの頸だけじゃ!」
輝弘は、そうした報を聞くたび、采を投げ、ぷいとどこかへ消えてしまいます。
残された嫡子の武弘が、必死に配下を宥め、父に代わりて総攻撃を下命しましたが、それに従う者は僅か。しかも、すでに統制の取れなくなった大軍の発起は鈍く、攻撃は各勢ばらばらで、それぞれ容易に敵の種子島の早合撃ちの餌食となってしまいました。
市川局は、奇蹟を起こしました。
その後の十日間。高嶺城は、しばしば、独断で散発的に攻め寄せてくる敵の攻撃を、ますます熟練の度合いを増していく早合射撃で凌ぎました。そして、こちらから毎夜のように闇に紛れた出撃を行い、数丁の種子島を携行した斬込隊が敵陣のあちこちを撹乱し、大軍の戦意を少しずつ削り取っていきました。
もちろん、攻撃のごと、数名の犠牲が出ました。しかし、敵勢の犠牲は、つどその数倍。魂を失った大軍は、まるで壁に掛かった虚ろな掛軸のようにそこに垂れ下がり、ただ伐たれるがまま、斬られるがままたゆたい、前後に揺れ、やがて、ぼろぼろの絹の切れ端と化していってしまいました。
戦意を失い、大軍の指揮の任を放擲した大内輝弘の不甲斐なさに愛想を尽かした者どもが、次々と陣を棄て、各地に散っていきました。その勢いは徐々に広がり、数日後には、止まらなくなってしまいました。