第二十七章 儚き夢のおわり (3)
そして・・・。
あの怖ろしい、とても怖ろしい光景を、輝弘が、左座が、和尚が、そして元教様が、その場に居た皆が目撃することとなったのでございます。
市川局は、まだ血のしたたり落ちるおたきの頭の束髪を掴んだまま、櫓門のへりにすっくと立ち、悠然と眼下の、死骸だらけの戦場を睥睨し、その合間で馬の背に揺られ咽び泣く輝弘に向かい、嘲るかのように言い放ちました。
「大内殿、そろそろお帰りか?」
輝弘は答えられず、代わりに、傍らに居た武弘が怒鳴り返しました。
「あまりに、あまりに無慈悲な成さりよう。でうすの神は、きっと悲嘆に暮れておられる!わが母ともなるべき御方が、斯様なまでに無慈悲な、無道な、悪魔であったとは!」
「そなたが誰か、そしてなにを言っておるのか、妾には、とんと判らぬわい。異国の、邪宗の神など、嘆こうが怒ろうが悲しもうが、妾の知ったことではない!」
「悪魔!悪魔!いや魔女だ!地獄の劫火で灼かれるがよい!」
武弘は、こう言い捨てて、なおも泣き崩れる父親の肩を抱き、その場を去ろうといたしました。すでに力を失った輝弘の身体は、我が子にただ、引かれるがままでございます。二人の武者を載せた、二頭の馬が、高嶺城から踵を返し、もと来た方向へ戻ろうとしたその瞬間。
櫓門の上から、宙に向けてなにか黒い大きなものが飛び、ぐるぐると回転しながら空高く駆け、二騎を飛び越え、歩を進める馬の蹄の前方へ墜ちて参りました。
それはまず、すでに討死して斃れた大内武者の兜の鉢に当たり、おおきく跳ねて、血と泥の混じった黒い水溜りに高い飛沫を上げ、ばしゃりと大きな音を立てて落下いたしました。
そして、いったん宙高く舞い上がった飛沫が、やがて細かく砕けて周囲に雨のように落ちるとともに、その黒いものが浴びた血と水とがゆっくりと流れ落ちて行き、その下から、眼を瞑ったおたきの顔が現れたのでございます。
武弘は、ぎゃっと声を上げて、そのまま馬の尻に鞭をくれました。十字をあしらった美麗な旗指物を指した二騎は、まるでひとつの生き物のように相互に絡み合いながら、一目散に高嶺城の大手門より退却していきます。
そしてその後を、市川局の哄笑が高らかに響き、追いかけていきました。局は、去っていく二騎の影に向かい、笑いながら、こう叫んだのでございます。
「待て、臆病者らよ!忘れ物じゃ、土産に持って帰るが良いに!」
二騎の影は、かなたに没して行きました。
おたきの頸を投げたのは、もちろん、市川局でございます。局は、二騎が背を向け去ろうとし始めるや、握っていたおたきの頸の束髪を肩の上に振り上げました。周囲の者らが眼を瞠りましたが、局は構わず、束髪を掴んで、その頸をぐるぐると頭上で激しく廻し始めたのでございます。
髪の先にくっついた頭の重さで、どんどんと勢が付き、やがて眼にも止まらぬ疾さとなっていきました。そして当然のこと、木の切株のように裂けた頸の傷から大量に血が飛び、ねっとりとした糸を引きながら、血糊となって四方に撒き散らされていきました。
その場に居た全員が、この血糊の雨を顔に浴び、全身に浴びました。つい先ほどまで、おたきの肉体の一部であった血と肉の欠片が、彼女の処刑を見届けた一同の肉体に、飛沫となって飛びかかっていくのでございます。ぎゃっ、と悲鳴が上がり、何人かの屈強な侍どもが、腰を抜かしてその場に崩折れました。
局は、ひとしきりそうやって頸をぐるぐると廻したあと、勢が極に達したと見るや、束髪を掴んでいた手を放し、それをかなたへと放り出したのです。
おたきの頸は、空中でぐるぐると回転しながら勢いよく飛び、二騎の頭上を飛び越して、黒い水溜りに落ちました。
戦の勝敗を決めたのは、初日の、この一撃でした。




