第二十七章 儚き夢のおわり (1)
おたきは、眼を見開き、周囲を見渡し、いま自分が置かれている怖ろしい状況に気が付きました。
彼女は、上のほうから髪を引っ張られ、無理やりに立たされております。両肩は二人の屈強な男どもに抑えつけられ、全く身動きできません。男の腕をほどこうと、右手をそこにやろうとしましたが、自らの腕が言うことを聞きません。何故だろう?腕が上がらないのは、何故だろう?そして、気づきました。自分の右腕は、ちょうど肘の少し先のところで途切れ、そこから先がないのです。
おたきの意識の中に、先ほどの瞬間の記憶が戻って参りました。下から斬り上げられ、自分の腕が刀とともに飛んだ光景を思い出しました。そして気を失い、今は囚われ、こうして頸を差し伸べられ、いまそれを、悍ましい敵刃が両断せんとしているのです。
そして、すぐ眼のまえに、あの女の顔があることに気づきました。美しく輝く、華やかで優しげな面貌。自分が憧れ続け、焦がれ続けて来たあの女。いま、あの女が、鼻から息がかかるくらいの至近より、きりりと据わった眼でこちらを目近に睨み、口に抜身の懐剣を咥えて、片手で自分の束髪を掴んで、上に引っ張り上げております。
あたしは、この女に殺される!この女の手で、頸を斬られる!この切味の鈍そうな懐剣で、何度も何度も、刺され、斬りつけられ、ごりごり骨を刻まれ、削られてから、ゆっくりと頸を掻き落とされるのです。
自分は、どこまでその痛みに耐えられるだろう?どこまで眼を開いて、自分が憧れ続けた女の、悪鬼羅刹のようなこの所業を見届けることができるだろう?どこまで、自分の返り血で朱に染まってゆくこの女の面貌を見つめ続けることが叶うだろう?
やがて、顔じゅうを自分の血糊だらけにして、この女は、わが頸を掻き落とし、ぐいと引っ張って胴から離し、雄叫びとともに宙へ差し上げ快哉を叫び・・・おたきは、心の底から、ぎゃあと恐怖の叫び声を上げました。そして、大声で泣き、喚きはじめました。
「許してくれろ、救けてくれろ!あたしはただ、人から言われたことを、しただけだあ!偉い方から、命じられただけだあ!氷上殿が躊躇った時には、やれと言われただけだあ!もうやめる、あやまる、だから、許してくれろぉ!このとおりだぁ!」
おたきの肩を押さえる男二人は、この女子の、あまりに哀れな有り様にいささか怯む素振りを見せ始め、不安そうな面持ちで局のほうを見ました。局はそれには構わず、きりりとした眼でおたきの顔を睨みつけながら、口に咥えた懐剣を手に取り、泣き叫ぶその頚筋に当てました。
ひんやりとした刃が喰い込み、膚を凍らせるような鋼の冷たさを伝えて参りました。やがて、少し力が加わり、肉厚の懐剣は、おたきの頚筋にずぶと沈みこみ始めました。
無駄と知りつつ、余計に刃を喰い込ませるだけと知りつつ、それでもおたきは大きく口を開けて、さらに大きな叫び声を上げました。上げずには、おられませんでした。親を失った童のように、飼主を失った仔犬のように、おたきは泣き喚き、詫び言を叫び続けました。大量に唾が飛び、眼前の局の顔にびたびたと掛かりましたが、局は、まったく構おうともいたしません。