第二十五章 使徒 (6)
しばし考え込んでいた輝弘は、隣の和尚のほうを向いて、
「竺雲恵心殿と、お見受けいたす。」
恵心和尚が頷くと、
「御坊の国清寺に、先ほど、立寄って参った。なかに、二名の幼子が保護されておった。身元も承知しておる。あいや!」
櫓上から身を乗り出してなにか叫ぼうとした息子を持槍で制して、
「幼子ふたりに、決して手は出させぬ。また、寺にも禁制を出し、兵の出入りは厳禁としておる。山口の町において、決して乱暴狼藉はさせぬよう、昨夜かけて改めて軍規を徹底した。いや、先遣隊に不埒者がおり、民家に押し入り梯子を数本、奪ったそうじゃが、処罰しようにも、その者もはや、この広場のどこかに骸となってしまっておるであろう・・・とにかく、みなみな安心なされよ、山口は、儂にとっても、故郷じゃ。」
「それは重畳。しかし、なぜに伴天連の貴殿が、我が寺になど参られる?」
恵心和尚が、不思議そうに尋ねました。
「探し人が、おってのう・・・なにはともあれ、先ずひと目だけでも、会いたき女じゃ。息子とは、会えた。じゃが、まだ、その女とは、会えて居らぬ。」
「貴殿は、どうしたいのじゃ?」
「ひと目、会いたい。そして、昔の詫び言を申したい。夫君の訃報に、お悔やみを申したい。そして・・・そして出来うることならば、また皆で手を取りて、この山口で平和に暮らして参りたい。それが、望みじゃ。」
「その願い、叶わば、この山口を一切、戦火に巻き込まずに・・・」
「左様。大内勢の大将たるこの儂が・・・異国の神で御坊には相済まぬが、でうすの神に誓って、之以上の戦禍を及ぼさず、戦を停止する。おお!」
輝弘が、櫓上に姿を現した男の姿を見て、声を弾ませました。
「左座!左座ではないか!息災であったか?いや、お主のことだ、決してどこかで朽ちるような男ではないと思っておった!」
輝弘は、歯を見せて嬉しそうに笑い、馬の背を尻で押して少し前に進ませ、旧友との再会を喜びました。
「なんと、なんと佳き日じゃ!昔のなじみに、次々会える。また皆と、笑い合える日が参ったのじゃ。この十二年の我が雌伏、無駄ならず!」
本丸付近から急ぎ駆け下りてきた左座は、まだ肩で息をしております。しかし、少し声を枯らしながらも、やっとのこと、こう言いました。
「まさか・・・邪宗の徒となっておるとは。しかし、あのときの約を違えず、戻って参ったのだな。」
「お主に託した、あのときの約定、しかと守って、戻って参ったぞ!いささか、時は要したがのう。また斯様な・・・なんとも奇妙な状況では、あるがのう。しかし、儂の心は、あのときのままじゃ。何処じゃ?かなは、今どこに居る?」
左座は、困ったような顔をして、和尚のほうを見ました。和尚も、すこしばかり眉を潜め、元教様を見ました。元教様は、しばし迷って、いちど父のほうを見遣り、それから、思い切って背後を振り返りました。
そこには、既に、呼ばれた本人がすっくと立ち上がっておりました。
先ほどまで、なかば意識を失いながら、諸肌脱ぎになって手当を受けていた筈なのですが。いつのまにか、前を合わせ、乱れていた髪にはきちんと櫛が入って左右に下ろされ、白鉢巻をした凛とした姿で、母が立っておりました。
薙刀を手に、いや、おそらくはそれを支えに、櫓の床を踏みしめ、立っておりました。
大内輝弘、かつての氷上太郎は、長年、想い焦がれていたその姿を、いまやっと眼にしました。時が経ち、あの輝くような美しさはやや影を潜めておりました。傷つき、血の滲む衣のうえに載るその貌は、痛々しさを感じさせました。口を真一文字に結び、屹とわがほうを睨むその眼は、かつてこの鴻ノ峰で自分を見つめたあの蕩けるような瞳とは違い、烈々とした、あの宮庄の聞かん気の姫だけが持つ眼でございました。
しかし、そのようなことは、今はどうでも良いことであります。
宮庄の、かな姫。そして氷上太郎は、十二年の時を経て、ここ鴻ノ峰にて、再会を果たしたのです。