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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第二十五章  使徒 (5)

二名の騎馬武者はしばらく、その場にとどまり小声で何事かを話し合っていましたが、

「いまひとつ!いまひとつばかり談合したき儀これあり。これより、馬を寄せ申す。どうか、お撃ちあるな。」

こう呼ばわって、大内輝弘ただ一騎のみが、(あぶみ)を踏みしめ、馬の尻を叩いて前へと歩んで参りました。


古今の戦例に於いて、敵将ひとり馬を寄せ交戦中の敵城門下まで来るなど、まず聞いたことのない話でございます。城内の誰も、その意図を(いぶか)しみましたが、特に危険はないと思われたため、誰も否とは答えず、輝弘はそのまま静々と馬を近づけて参りました。


城門の間近、ほんの数間(すうけん)先にて馬を停め、目を輝かせて上を見上げました。目庇(まびさし)の陰に隠れていた、大内輝弘のすずやかな笑顔が、櫓門の上に立っている全員の眼に映りました。元教様の周囲で、いくつか、「おお!」という小さな声が上がりました。古く宮庄家に仕え、その後、市川家に移った少数の古株どもには、覚えのある顔だったのでございます。




輝弘は、火のついたような眼で彼を睨みつける元教様の顔を眺め、笑みを(こぼ)しました。そして、小声で、ひとりごとのように漏らしました。


「似ておる・・・似ておる。かなに、似ておる。」


元教様は、その一言で、気づきました。はっとした顔で、何事か言おうとしましたが、その言葉を、すんでのところで飲み込みました。


代わりに、輝弘が言いました。

「そうじゃ。元教殿。儂は・・・いや、儂こそが、そなたの父じゃ!」


元教様は、先ほどまでの勢いはどこへやら、何事か言葉を呑み込んで、黙ってしまいました。なにかを言いたいのですが、言えないのです。


目の前にいる、大内輝弘と名乗る騎馬武者が、もしその昔の氷上太郎であるとするなら、彼は紛れもなく元教様の父親です。そのことは、すでに母から聞かされ承知しております。しかし、表向き、元教様は市川経好の子。周囲にも、そうと周知しております。十年前ならば、事情を知る者もまだ多く残っておりましたが、今では、そのあたりの事情を知っている者はすくなく、先ほど輝弘の顔を見てわずかに声を上げた数名ばかり。しかも忠良かつ口の堅い者どもで、そうした過去の経緯(いきさつ)は、いつしか語られなくなっていたのでございます。


元教様は、目の前の男を父親と認めず、自分は市川家の跡取りであると叫ぶべきだと思いました。しかし、そうと叫べば、実の父との薄い絆が、ここで完全に断ち切られてしまうかもしれません。そうまでする気構えは、まだ十四歳の若武者には、出来て居らなかったのでございます。誰にも、それを、責めることなどできぬでございましょう。




氷上は、いや、大内輝弘は、そんな元教様の心中を慮ってか、優しく、次のように言いました。


「わかっておる。わかっておる。いささか混乱するは自然のこと。いきなり、こんな成りで敵将として現れ、誠に相済まぬ。済まぬが、成行(なりゆき)じゃ。赦せよ。ずっと、ずっと、会いたかった。海の向こうから、そのことだけを念じて生きて参った。いまこうして、願いが叶った。こんなに嬉しきことはない。」


輝弘の胸元に、首から提げた十字架が陽の光を浴びて、白銀色(しろがねいろ)に輝きました。


「い、いや。そちは、現在はまだ市川経好殿のお子じゃ。それで良い。これまでの、成行じゃ。しかしよもや、将として城に籠もり居るとは!儂は、我が子と相争わねばならぬのか。なんという皮肉じゃ。せっかく、父が会いに戻って参ったに。その我が子が、よりにもよって敵将とはの・・・毛利に、他に人は居らぬのか。」


そのまま絶句し、しばし無言で、ただ馬の歩に合わせて、背の上で揺られておりました。


その様は、まさに子を思う父そのもの。演技や詐略の類ではございません。輝弘の真情は、櫓上にいる全員が等しく感じ取れるものでした。

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