第二十五章 使徒 (4)
「左様。大内輝弘こそ、我が名。これは先年、京の足利義輝公より賜りし、まこと有難き諱で御座る。その前の名乗りは、大内隆弘。」
一騎が答えました。そして、やや大げさな身振りで周囲を見渡し、こう続けました。
「さらにその前は・・・別の名で、当地にしばし逗留しておったことも有り。久しぶりに戻って参った。ここはいわば、わが故郷。まこと懐かしき土地で御座る。」
「成る程。大内家のご縁者と。さりとて、いきなり、かかる大軍率いて攻め寄せ来たるは穏やかならず。貴公、なにか毛利家に含むところあっての挙か。」
恵心和尚は大声で詰問しました。
「無論のこと。毛利家は、かつてわが大内家を卑劣にも騙し討ちし、ご当主、義長公を弑せし仇なり。大内の縁者として、機会あらばかつてのわが領土を奪回し、失われた名誉を取り戻さんとせし事、武士として当然の事なり!」
「それは、あくまで大友家に言い含められた名分であろう。大友の狙いは、大内復興に非ず。貴公ら大内縁者をただ毛利の腹中に放ち、これを撹乱せんとする試みなるは明々白々。じき、我らが援軍来たりて、貴公らを蹴散らすこと、これ火を見るより明らかなり!」
「はて・・・そうでござろうか?」
輝弘は、余裕をもって和尚の舌鋒を躱しました。
「いま毛利の主力は、遠く海を隔てた彼方に在り。元就公、こちら岸の赤間ヶ関におわすとて、その周囲に侍する武士の数、さして多からず。周防・長門にはもとよりお味方なし。安芸と伯耆に留守居の勢が僅か、あとはせいぜい、石見の山深きに吉見勢ひとつあるばかり。あとの諸氏は、おそらく日和見を決め込み、大内有利と見るや、こちらへ一斉に馳せ参じて参ろう。はて、斯様な状況で、どこから当地に援軍が来たるものか、御坊の深きお知恵で、どうか拙者にご教示願いたい。」
恵心和尚は、黙りました。たしかに、落ち着き払った輝弘の言には、それなりの理がございます。輝弘は、かなたからさらに言葉を継ぎました。
「其処なる若武者の言われるがごとく、一軍の将みずからが敵陣まで馬を寄せるは、たしかに異例のこと。軽挙妄動と謗られても文句は申せず。されど、本日、ひとつばかり、如何にしてもお知らせせねばならぬ事あり。」
「はて、それは何で御座ろうな?」
「当地の奉行、市川経好殿のことで御座る。誠にお気の毒ではござるが、遠く博多、立花城近辺の激戦にて、過日お討死遊ばした旨、お伝え申したく。」
「虚事じゃ!」
ふたたび、元教様が吼えました。
「数日前より、山口の町じゅうに流れておる、下らぬ噂じゃ。おおかた、そなたらの手の者が、我らを惑わせんと流した虚事に相違なかろうて!」
「虚事では、ござらぬ!かの地にて両軍対峙、激戦多く行われ、双方に死者多数。そのなかに市川殿の頸、たしかに含まれ居たる由。われらこの報を、二日前、豊後出帆の直前に聞いたり。至近の戦場からの早馬なれば、その報の確度、これ極めて高し。早馬が味方に嘘をついて、なんとする?」
「それを、なぜ、わざわざ我らに伝えに参る!そなたには、なんの関係も無い話じゃ! おおかた、我ら市川勢の戦意を削がんがための詐略であろう!」
「我ら市川勢、とな!貴殿・・・もしや?」
馬上の輝弘の影が、櫓門のほうを指さしつつ、しばらく黙り、そして尋ねました。
「市川経好殿が長子、元教殿でござるか?」
言い当てられた元教様が吃驚し、真横に居る恵心和尚と、眼を見合わせました。
意外な成り行きに、なんと答えてよいのか、元教様には、わかりません。
恵心和尚が、あとを引き取りました。
「如何にも。市川元教様じゃ。これなるは・・・」
あたりの、死骸ばかりの光景を示すかのように両手を拡げ、声を励まし、言いました。
「元教様の下知のもと我軍一丸となりて戦い、貴軍を打ち倒せし、その痕跡じゃ!」