第二十五章 使徒 (1)
はじめに、おたきの不審な動きに気づいたのは、左座宗右衛門でございました。楼上で敵の本軍に対する今後の対応を話し合っている最中も、視界の左脇、大手門前に累々と横たわる死骸のなかから、誰かが立ち上がり、門脇の松の消火にあたっている兵らに襲いかからないか注意を怠っていなかった彼は、ふと、視界の反対側、すなわち楼上の奥に佇むおたきが、何事か思いつめた表情で前を向いているのを目に止めたのでございます。
頭のかたちが小さく、それと不釣り合いなほど眼の大きな娘で、あどけない瞳がいつもきらきらと輝いておりました。表情は独特で、あまり瞬きをせず、つねに前を見つめるその仕草は、日ごろ、きっと周囲の若い男衆の注目を引いていたに相違ありません。
しかし、そのとき左座が気づいたのは、彼女の瞳のなかに宿る、どこか昏い光のようなものでした。それは、はっきりと眼に見えるものではございません。ただ、何とはなしに発する、気のようなものでございます。
誰もそれに、気づいておりませんでした。しかし、左座にはそれが、わかりました。なぜなら、その昏い情念は、左座本人が有するものと、同じものであったからでございます。
おたきは、やがて、自らの胸元に眼を落とすと、そこからなにかを取り出し、右手と袖に隠してそれを構えました。そして前を向くと、その眼は、もう、あどけなさの残るあの眼ではございませんでした。ぎらりとした光を放つ、これから得物を仕留めんとする狩人の眼でございました。彼女は、つと走り出しました。
左座が、手にしていた種子島の火蓋を切ってすかさず引鉄を引いたのと、おたきが市川局の頭上に小刀を振りかぶったのが、ほぼ同時でございました。
轟音が響き、驚いた局が、思わず身を捩って左座のほうを見ました。もとより、狙いをつける暇などはございません。弾丸はどこか、あらぬ方向に飛んで、楼上の鴨居の一角に当たり、そこにささくれ立った疵をつけました。すでにおたきの頭上に構えられた小刀は、そのまま振り下ろされ、局の眼前を通過し、そのまま左肩と胸元に当たって、鮮血が噴き出しました。
おたきは、なにか物の怪でも憑いたかのような気狂いじみた奇声を上げ、左手で局の左肩をぐいと押しました。狙いを外した小刀を引き抜いて、今度こそ致命的な第二撃を見舞おうとしたのです。しかしそのときには、左座が駆け寄り、種子島の銃尾でおたきの胸元を殴りつけ、彼女はその場に転倒しました。左座は引き続き、堅い樫を削った銃尾を突き出しておたきを打ち据えようとしましたが、彼女は機敏に身を躱して、左座の一撃は虚しく楼の床を叩きました。おたきはまた立ち上がり、まだ右手に握っていた小刀を、少し距離の空いた局めがけて投げつけようとしました。しかし、種子島を棄てた左座は、今度は腰に提げた自分の刀を抜きざま、下から斬り上げました。
血飛沫が飛び、同時に、女の右腕が宙に舞いました。
そのまま、意志を失った右腕は着物の袖と一緒に床へ落下し、ぼとり、という重々しい音を立てました。一拍遅れて、さらに宙高く飛んだ小刀が落ち、跳ねて転がり、からからと乾いた、高い音を立てました。