第二十三章 ただ、なすべきことを (7)
薙刀を手に立っていた市川局は、そんなおたきのほうを見、また、下々の者が気軽に交わす冗談口に苦笑しておりました。楽しそうだのう。妾は、あのようなあからさまな冗談口など、夫と二人きりの時ですら、叩いたことがないわ。氷上と十数年前、この同じ峰で睦み合っていたときも。
下々の者どもは、愛し合うとき、そしてそうでない時ですら、斯様に正直で、楽しげなものなのか。
いや、妾がここで、氷上と一緒に居ったときは、裸身が、満月にきらきらと照らされておったのじゃ。妾は、ただそれだけで、死にたくなるくらいに狂おしく、恥ずかしかったのじゃ。しかし、氷上は、そんな妾を憧憬の眼でながめ、ただ優しく、柔らかく、抱きしめてくれたのじゃ・・・恥ずかしかった。そして、嬉しかった。月は満ち、妾は満ち、なにもかもが、満ちた。輝いていた。そして今は・・・。
市川局は、はっと、我に返りました。
当のおたきが、手を止め、きょとんとしてこちらを見ております。小ぶりな丸顔に、大きな眼。頭の後ろには長い束髪が垂れ、その先はほぼ、腰のあたりにまで伸びております。
二人の眼が合いました。局は、にっこりと微笑みました。おたきも笑い、嬉しそうに、また早合の口をせっせと切り裂き始めました。
我に返った局は、氷上太郎の幻影を、頭から追い払おうとしました。その本人が、いま、雲霞の如き大軍勢を率いてこの城へと寄せて来ているのでございます。そのため、しばし、この明るく働き者の下女は、どこでどのようにして生まれ、どのようにして育ったのだろうと考えることにしました。宮庄家の娘として生まれ、ずっと、名門武家の一人娘として、多くの使用人や家臣どもに傅かれて、ずっと育ってきた自分。対して、この娘は・・・。
局のそんな想念は、次なる怒号で、永遠に中断されることとなりました。
「敵勢近接、その勢・・・凡そ五百!」
独断で高嶺城に兵を寄せた先遣隊の隊長、狩野は、還らぬ物見を長くは待たず、また次なる物見を出すこともなく、決然と総攻撃を命じたのでございました。町からはばらばらに駆けてきた各隊、いまは合一して、まとまった兵力となっておりました。
「叩き潰せ!皆々、頸を刎ねよ、一兵たりとも逃すな!」
すでに大内輝弘からの軍令に違背していた彼には、そう命ずるより他にありませんでした。地元周防の兵だけで編成されたこの隊で、高嶺を陥とす。それ以外に、我らの武士としての意地を保つ方法は、無い。
互いに逃げ場のない、五百名と百三十六名の軍勢が、激突する時がやって参りました。




