第二十三章 ただ、なすべきことを (2)
やがて、櫓門上から、市川局がその凛とした姿を現しました。黒く、つややかな下げ髪を白い鉢巻でまとめ、胴丸を着用し、左手には薙刀を持っておりました。局は、城内の皆を睥睨し、顔と顔とをひととおり見渡すと、石突をどんと突き立て、あの腹の座った低い声で、こう言いました。
「皆の者、これから戦じゃ。敵勢多数、されど数は関係なし!寄せ来る者みな撃ち倒し、斬り殺し、刺し殺す!情けは無用。殺るか殺られるかじゃ。もはや、逃げることできぬ。皆々、ただ、己がなすべきことをなせ。皆の命、妾が貰い受けたり。仮にそちら死すとても、妾が、常に共に在り!」
この、天女のように美しい城主から発せられた夜叉のような激しい檄は、城内の皆の心に火を点けました。皆々感奮し、手にした槍や火縄や削った矢竹や、あるいは汁椀までをも頭上に振り上げ、おう!と叫び、局の檄に応えたのでございます。局は、眼を閉じ、その反応を膚いっぱいに浴びてしばし満足げなようでしたが、やがて眼を開け、やさしい声音でこう言いました。
「いま、皆の顔を見た。皆の顔を、覚えた。名を知らぬ者もおるが、あの世への道々、聞かせて貰おうぞ・・・されど、我らは、負けぬ。絶対に負けぬ。勝って、生き残り、あとあとこの高嶺の城のどこかの郭で、花を見ながら皆で舞い、踊ろうぞ。この城から眺むる、月は綺麗じゃ!」
言い終わると、手にした薙刀を頭上に振り上げました。そして、そのまま、あの重量のある薙刀をぶんぶんと振り回し、またどん!と石突から櫓上に突き立てました。皆々、また、おう!と気合を掛け、城内の熱気は最高潮に達しました。
おたきは、その神々しいまでの姿に気圧されておりました。茫然として、この、天から舞い降りてきたような猛き武の女神の一挙手一投足に見惚れておりました。市川家内に仕えはじめてから、下女や使用人のあいだで噂のように語られていた「千軍万馬の姫君」という類の、いささかの揶揄をこめた噂話や昔話の数々が、ことごとく真であることを知りました。
そして、いまの自分と、この女神との間に横たわる、遠い遠い、遥かな懸絶のことを想いました。いま、我が身とあの方の御身とのあいだは、ほんの数尺くらいしか、隔たってはおらぬのに。おたきは、ここで、汁の番などしている場合ではないと感じました。
「あそこへ。あそこへ登らねばならぬ。そして、自分のなすべきことを、なさねばならぬ。」
おたきの心に、なにかが閃き、誰かがこう命じたようでありました。彼女は、右手の杓を大鍋の中に棄て、左手に持っていた椀を傍らに居た男の胸に押し付けて、そのまま走り出しました。走り出してから気づき、首から提げていた前掛けをはずし、そのまま地べたに投げつけました。そして梯子のひとつに取り付き、するすると身軽に駆け上がって、幅のひろい櫓上に飛び出したのです。




