第二十三章 ただ、なすべきことを (1)
さて。
これから、あの高嶺城における長い長い十日間についてお話するわけでございますが・・・あなた様も私も、あのときまさに、あの場に居合わせておったわけでございます。とにかく凄まじい、そして残忍な戦でございましたな。特に、あの、最初の一日目は。生涯忘れ得ぬ、恐ろしき一日でございました。今でも私は、あの日のことを思い出すと、膝が震え、額に、じとっと汗がにじんで参るのでございます。
大友との間に和平が成り、はや十年以上が経過しております。実はあのあと、豊後の人々とも戦のことなど語り合い、当時はうかがい知れなかった、さまざまなことがわかって参りました。
いかがでございましょう?私はもちろんのこと、あなた様もおそらくは、決して忘れてはおられぬであろうあの戦。いま、ここで改めてあの日のことを回顧するに、私たちでなく、あの女子の身になり代わりて物語してみるというのは。哀れで勇敢で、とても愚かなあの女子、おたきの身になりて、おたきの目であの戦いのことを振り返って参りたいのです。
お返事なくは、同意いただけた印と受取りて、先に進ませていただきます。
あのとき、城内に居たお味方は、すべて合わせて百三十六人。六千の敵に抗するに、わずか百三十六人でございました。そして、その内訳は・・・武士、地侍、商人、農民、雑兵、僧兵、代僧、使用人など、実に身分雑多な、さまざまな者がおりました。もちろん、戦には加わらぬと仰せられた恵心和尚も、その数のなかに入っております。そしてそのうち、女子は、市川局、そしてここまで附いてきた勇敢で忠良な侍女が二名。その他には、夫の籠城に成り行きで附いてくるなど、さまざまな事情で城内に居た身分低き下女などが四名。そのうちのひとりが、おたきでございました。
あの蒼い勿忘草の一件を市川局に赦されたのが、ほんの数日前。それ以降、なにか特別な想いがあるように見え、「足弱苦しからず」という元教様や左座の言葉にも関わらず、素槍を抱え、黙ってこの地まで附いて来たのでした。
敵の第一波接近の報が城内に届いたとき、おたきは、高嶺城の大手櫓門の裏手に控えておりました。門扉のすぐ後ろ脇に石を並べ、竈を作って火を焚き、火縄の準備をする使用人たちの火種にするとともに、どこからか誰かが持ってきた大鍋に味噌、野草と米を煮て粥をこさえ、椀にこれを注いでは兵どもの掌に手渡しておりました。その際、ひとりひとりに笑顔で声をかけては激励し、城内の雰囲気を明るく盛り上げることにつとめておりました。
やがて、櫓門脇の高台に控えていた兵が、大声を張り上げました。
「敵勢、寄せ来たり!数は百を越えまする!数隊に分かれ、こちらへ駈けて参ります!」
城内の皆々、にわかに立ち上がりました。死ぬも生きるも、この一戦にすべてが懸かっております。おたきがつい今しがた汁椀を渡した若い農民兵は、それを手に持ったまま思わず城壁のもとへ駆け寄り、上を見上げました。汁はほとんど溢れてしまっておりますが、まだ持っておりました。
錆びついた黒鉄の門扉は、もちろんすでに閉鎖され、厳重に閂がかけられております。