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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第二十二章  遠雷 (5)

誰も居ない山口の街路に、一陣の風が吹き寄せ、土煙を巻き上げて去って行きました。濛々と立ち込める土埃が視界を奪い、兵らの眼と鼻と耳の穴へ襲いかかって来ました。隊列の全員が、しばし立ち止まり、咳き込みながら眼を腕で覆い、下の方を向きました。


先発隊の隊長は、狩野某という男でした。歳は三十代の半ば。大内家の足軽大将の子として生まれ、日の本一等の巨大な大内軍の一翼を担ってあちこちを征く、武士としての輝かしき未来を夢想しておりました。ところがあえなく主家は滅亡、それ以降の年月、彼は毛利や、その下風に立つ裏切者たちに顎で使われ、辱められ、ただ凝っと忍従の毎日を送って来たのでございます。


誇り高い彼にとって、その労苦は筆舌に尽くしがたいものでした。そんなさなかに漏れ聞いた、この大内輝弘の反攻の噂。彼はひそかに、昔の家来やその縁者、信頼の置ける大内家の旧臣などを密かに組織し、訓練し、この日のために備えて参りました。




前方かなたで相変わらず鳴り渡る種子島の音を聞いて、狩野は決心しました。大内輝弘より命じられた任務は、町の安全を確認し、戻って復命すること。しかし彼は、敢えてその命を無視することにしたのです。


別に輝弘に反抗しようとしたわけではございません。しかし、長年、この町を支配し、自分たち大内氏旧臣を圧迫し続けてきた毛利の残党どもに、こうも公然と挑発されている以上、これに応えない訳にはいかないという、長年の鬱屈(うっくつ)した被支配者としての心情がございました。


また、次陣に控える、豊後から輝弘の連れてきた兵どもに対する対抗意識もありました。このまま輝弘のもとに戻ると、おそらく、自分達に代わってあの豊後勢が高嶺城への一番乗りを果たすことになります。そうなると、この栄えある山口奪回の戦いの功績が、みな彼らの手中に帰してしまうことになると思われました。


狩野は、背後に続く部下たちの顔を見ました。みな、一様に、戦いに臨む前の、引き締まった良い(かお)をしております。そして、なにかを期待するかのような眼で、こちらを見返して参ります。


狩野は、このまま、なにもせずに戻るわけには、いきませんでした。


彼は、やにわに部下のほうを振り返ると、鞘から刀を抜き、それを宙に突き立てて、大音声でこう呼ばわりました。

「これより、駆ける!あの高嶺城へ向け、突っ込む。突っ込んで、憎き毛利の奴ばらの()っ首、片端から刎ねてくれようぞ!」


皆々、意気軒昂(いきけんこう)。身分ある士分から雑兵どもに至るまで、おう!と大声で唱和しました。そして、土埃の向こうへ消えようとしている狩野の背を見ながら、遅れじとみな一斉に走り出しました。


一隊が走り出すと、隣の辻からそのさまを見ていた別の隊が走り出しました。そして、それを見た別の隊が。そうして、わずかなうちに、先発隊の五百名全員が、烈々たる闘志を胸に、隊ごと抜駆(ぬけが)けすることになってしまったのです。




山口への無血入城と、それに続く高嶺城への整然たる進軍。そして堂々と軍使を派し、名誉ある降伏と全城兵の助命を条件にした申入れを行い、早期に戦闘を決着させるという大内輝弘の目論見は、こうして、もろくも崩れ去ることになりました。


後世に語り継がれることになる、高嶺城(こうのみねじょう)の合戦が、こうやって、なし崩しの流れで始まってしまったのでございます。

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