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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第二十二章  遠雷 (4)

早合(はやごう)そのものは、握りこぶし程度の大きさの、竹や革を漆で固めた入れ物に過ぎませぬ。このなかに、弾、そして火薬を入れ、持ち運びの最中に(こぼ)れないよう封をしただけのものでございます。しかし、林泉軒は、この早合をあらかじめ各銃あたり三百ほど用意し、胴乱(どうらん)という、腰に提げることができる箱の中に十づつ詰めて、自在に持ち運びできるように工夫しておりました。城の櫓上から撃つ場合、あらかじめこの胴乱を組手どもの後方に並べ、次々と封を切って口を開いておけば、すぐそれを抜き取って、筒の中へと注ぎ入れることができるのです。


この用意により、八十名よりなる廿隊(にじゅったい)の鉄砲隊が編成されました。彼らは、人数を遥かに越える種子島を好きなだけ使って、それをぐるぐると受け渡しし、ほとんど切れ目なく次々と撃ちつづけることができるのです。しかも、うち六十名は、実際に狙いをつけて撃つという動作はしないため、さしたる熟練も要りません。ただ、目の前に置かれた筒を受け渡しし、早合を入れ、それを搗き固め・・・という、自分に割り振られた単純な動作を続けるだけで良いのです。


もちろん、各組が円滑に種子島を受渡しできるよう、なんども鍛錬する必要がございました。昨日の夕刻に林泉軒からこの大量の贈物を受け取ってから、大急ぎで左座と根来衆とが合議してこの組手の仕組みを練り上げ、そのあと夜通し、撃たずに銃を取り回す動きだけを鍛錬し続けました。その結果、各組の動きと連携は目を(みは)らんばかりに上達し、すでにくるくると滑らかなる動きで、常に三丁か四丁の種子島が受渡されるほどになっておりました。


先ほどからしきりと鳴り渡り、彼方の大内兵を不安に慄かせているのは、主としてこの受渡しの動きを、実際に種子島を撃つ動作を入れて行っていた、いわば仕上げの鍛錬であったのです。


もちろん、各銃手は、あらかじめ定めておいた目標に向け確実に命中させることができるよう、距離と確度を調整しております。実際に早合を込めて撃てるこの機会に、それを確かめ、続けざまに、ほぼ全弾を目標の至近に浴びせかけることができました。多少、弾痕が散っているのは、銃手の狙いが悪いからというより、もともとの銃の癖か、玉薬の相性、玉の形状が真丸でないが故でありました。この程度の誤差は、実戦においては気にせず撃ち続けるのが最上です。


ともかくも彼らは、通常よりも遥かに短い間で、敵に多数の弾を、嵐のように浴びせかけ続けることができるのです。この火力は、優に数百の鉄砲衆の実力に相当しました。左座が、「これで、勝てる」と言ったのは、ひとえにこの集中射の威力で、寄せ来たる敵の腰が砕けることを期待しての言葉であったのです。


こうして、即製の恐るべき銃隊が一夜で編成され、櫓門上に十五組、さらにその上にしつらえられた小窓に二組、脇の櫓台上に三組ほど配されておりました。




「これほど無駄弾(むだだま)を撃って、大丈夫か?戦はまだ、はじまってもおらぬ。」

脇から、元教様が口を挟みました。先ほどの一斉射撃の号令は、元教様が出していたのでございます。左座は、澄ました顔で言いました。

「無駄弾では、ござらぬ。この鍛錬の一弾一弾が、打ち手に落ち着きを与え、いざ戦となったときの腰のすわりに(つな)がり申す。さすれば、いざという時に、この距離ならば寄せ来る敵を片端から打ち倒すことができ申そう。若、これは決して無駄弾に(あら)ず。」


いつのまにか近くに寄って来ていた恵心和尚が、ふたりの間に割って入りました。

鬼哭啾々(きこくしゅうしゅう)とは、このことぞな。まるで地獄の火責めのようじゃ。恐るべき、罰当たりな攻め口じゃのう・・・このぶんでは、百や二百どころではない人死にを生ずることになる。おぬしら、ここで生き残っても、将来、決して極楽には参れぬぞ。」


「もとより、左様なこと、願うてもおらぬ。」

乾いた笑いとともに、左座が答えました。

周囲の根来衆も、にやりと笑って無言の同意を示します。彼らの眼は、一様にぎらぎらとした光を放ち、久方ぶりの戦闘と殺戮(さつりく)とを、心待ちにすらしているように見えます。和尚は、自分がここに連れて来た僧兵たちの、戦を目前にした変わり様に、苦い顔をしました。

「まあ、我らが全員死んでしまうよりは、良い。それで手を打とう。好きに殺すが良い。しかし、末世じゃのう・・・。」

そう言うと、和尚は(うつむ)いて小声で念仏を呟き、やがてどこかに行ってしまいました。

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