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高嶺の花  完全版  作者: 早川隆
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第二章  激情 (4)

隠棲を発表したばかりの内藤興盛殿は、この訴えを聞いて、ひたすら恐懼(きょうく)する宮庄の身内数名が控えるなか、奥座敷へかな様をお呼びになり、事情を聞いたそうでございます。もちろん、その答えによっては、家中の怒りを(しず)める意味でも、ほんとうに宮庄一族を邸外に放逐(ほうちく)せざるを得ないかも知れません。


かな様は、悪びれず、はっきりとした声で、こう答えました。


(わらわ)は安芸宮庄家の娘。吉川家への忠義を貫き通したる家を継ぐ者。その忠を(よみ)して我らを受け入れたと申されるに、ご主君のお子の最期を揶揄し、歌にするとは何事か。斯様な子を邸内に放ち、ちょろちょろと走り回らせたるは武門の恥と心得られよ。たしかに、戦における謀叛裏切は軍略のうち、ご主君を弑すもまた時として世の習い。さりとて、亡きご主君、その子らに払うべき敬の念を喪わば、これ武士の風上にも於けず、いや人間とも言わざるべし。ただ禽獣(きんじゅう)(たぐい)なり。」


大内家きっての歴戦の勇士であり、智謀の士。なにより万事に古りた老将、内藤興盛殿も、この、せいぜい十四五歳の小娘が発するあまりの烈しい剣幕と、その説く整然とした(ことわり)、そしてそれを言い切る凛とした口調とに気圧(けお)され、思わず上座でたじろいだと漏れ聞きます。


家中の者共は、彼らの家長に対する改めての罵倒と捉え、またも騒ぎ出しましたが、興盛殿はひとり立ち上がり、かな様の前で片膝をついてわが子の無礼を詫び、引き続いての宮庄家の庇護を誓ったそうでございます。


そして、こうも口にしました。

「さても惜しきことよ。これなる姫が、男子であったなら、その胆力で千軍万馬(せんぐんまんば)の敵勢をも押し返す、古今無双の名将となるであろうに。」

そのまま、家中のものに、こう申し渡しました。

「皆々、宮庄に学び、宮庄に(なら)え。武家の忠義、かくあるべし。武士の心得、かくあるべし。今後一切、これなる姫に楯突くこと、断じてこれを(ゆる)さじ。」


ここで、かな様が思わず落涙し、平伏して、畳の上ではげしく嗚咽(おえつ)したそうでございます。私が思いまするに、このとき、かな様の目の前には、まらを取られる幼子の顔と、手下どもに裏切られ、絶望のうちに討ち取られる興経公の顔とが、同時に見えていたのではありますまいか。


千法師君の、彼を背負うた勇敢な乳母の、そしてわが手の先に花を掴み、そのまま生きながら奈落の底へずるずると引き込まれて行ったおさい様の姿が、ふと、浮かんだのではございますまいか。




内藤興盛殿は、この見事なお裁きのあと、お家の後図を嫡孫(ちゃくそん)隆世(たかよ)殿に託され、ほどなく亡くなりました。おそらくは、成り行きとはいえご主君の弑逆に力を貸すことになった自らの運命を呪い、その不明を恥じ、お心を責めぬいてのいわば、静かな討死にであったかと推察いたします。


あとを継いだ内藤隆世殿は、お年の頃はかな様とほぼ同じながら、先代に似てあたかも潔い古武士のような人柄。かな様には好意的で、また興盛殿のご遺命もあり、その後邸内にてかな様に無礼を働く者は絶無となりました。


同時に、かな様と宮庄家の面々は、まるで邸内において触れてはならない腫物(はれもの)のように扱われ、なにかにつけ、敬されつつも遠ざけられるようになりました。やがて一族は、無言のうちに、まるで()われるかのごとく、内藤家の領する飛び地の一角の空き家へと居を移さざるを得ないことになったのでございます。


また、あの童への打擲の一件によって、烈しく聞かん気で、口が悪く粗暴な姫君の悪名は、山口じゅうに(とどろ)きわたることになり、もはやどの家にも嫁すことのできぬ、ひとりの女子としては情けなくも苦しい日々が待っていたのでございます。

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