第十六話 出雲家
少し外れた坂道を登り一軒の家を目指す。
町長の家は町のはずれにあるというまた一風変わった場所にあった。
俺は肩に乗った朏の示す方(足)にしっかりと向かって行く。
すると周りの家と違い、大きな和風な屋敷。
俗にいう武家屋敷にたどり着いた。
その家の門の表札には『出雲』っと達筆に書かれていた。
しかし、ここまで広いと妙な圧力を感じる。
そんなしり込みをしていると容赦なく呼び鈴を鳴らす朏。
どうした?っと言いたそうな顔で俺を見てくるところがまた可愛らしいがその行動が俺の胃を痛める。
押してから一分経った頃にくぐり戸から一人の女性が出てくる。
「おはようございます。すみませんがどちら様でしょうか?」
「あっ、俺は昨日越してきた祭川雪夜と申します。今日は引っ越しのご挨拶に伺いました。」
「貴方が雪夜さんですね。話は旦那様から聞いています。どうぞ。」
そう言いながらくぐり戸を抑えて俺を通してくれる。そして俺の前を歩いていく。
見た目は50近い人なのだが、和風な給仕服を着ている。
その佇まいは何処にも隙を作らないかのように見える。
「ところで貴方は?」
「私ですか?私はここで働いてるただの使用人です。名前は灯時有流と申します。」
「有流さん、よろしくお願いします。」
お互いに挨拶をして、建物に入っていく。
今までこのような家には入ったことがないのでどれも新鮮だった。
そして家の中心そこにその部屋はあった。
「ここが旦那様の部屋です。どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。」
少し緊張はしている。何せこんな家に住んでいて町長なのだ。
どう考えても厳格なお爺さんが正座しているのだろう。
そう思うとやはり胃が痛くなる。
っがやはりその緊張した場面を容赦なく進める者が居た。
そう、朏である。小さい兎の体だというのに器用に襖を開けたのだ。
そしてそうすることで俺は中に入らざるをえなくなった。
「ほう。入る時の作法を教えてもらわなかったのか?小僧。」
その鋭く意志の籠った言葉が一直線に俺を貫く。
言葉が重い、いや。強いのだ。その言葉に俺は委縮してしまう。
「む?また入り込んでおったのか。兎は庭までと言っておるのに。有流!この兎を丁寧にお返しなさい。」
「承知いたしました。」
有流は朏をつまみ出そうとするが朏が全力で拒否しているのだ。
その様子に呆れた俺は行動を先読みして朏を捕まえて肩に乗せる。
「すいません、この子が勝手に襖を開けてしまったんです。許してください。それにこの子はこれから話したいことに関係するのでできればこのままここに居させてあげてくださると助かります。」
そう真っ直ぐに男の人を見つめる。
男の人は少し考え込んでいたが何か思い当たる節があったのだろうか、許可してくれた。
俺も座布団に座る。自分の定位置かのように膝の上に朏も座る。
少し怪訝な顔をしていたが何も言われなかった。
「まず。この度はこの五兎の地に越させてもらいましてありがとうございます。この地に不利益な事はするつもりはありませんので。何卒、これからよろしくお願いします。」
「・・・ハハハッ!そんな固くしなくていいよ。私もその方が楽だから。」
そう男の人は言う。
先程までのイメージとは違い、爺さんというよりは彰人さんと同じくらいで40代くらいだろう。
そこまで老けては見えないが蒼い着物に身を包んでいる姿から何処か威厳を漂わせている。
だが、彼の性格が俺には合っていた。
「なら、口調を崩させてもらいます。俺は聞いている通り祭川雪夜です。よろしくお願いします。」
「私は出雲凪。まぁ、凪さんとでも呼んでくれ。」
凪さんは笑って俺に元気を振りまいて来た。
俺もそれに釣られてか笑っていた。少し不器用に。
「ふむ、話には聞いていた通り。死んだ顔だな。しっかり飯は食ってるか?」
「食べてますよ。平均男性が食べるくらいには。それにしっかり運動もしていますし。」
「なら、問題だろう。ところで何故その黒兎が話に関係してくるのだ?」
凪さんの視線が急に鋭くなる。
部屋に入った時と一緒の。急な変化に驚くが、昨日の出来事に比べればまだマシだった。
「えーと、俺自身も良く分からないんですけど。『獣』ってなんでしょうか?」
その言葉を言い終わったと同時に俺の首筋に冷ややかな感触が伝わってきた。
「ほう、小僧。面白い事言うやないか。ここが何処か分かってのことか?」
俺はその感触の正体を確かめるために目線だけを下に下げる。
そこにあったのは刃物。正しくはナイフなのだが。
先程まで後ろで控えていた有流さんが俺の首筋にナイフを押し当てていた。
体から熱が去っていく感覚が良く分かる。
手汗が出てきて、心臓が早く鼓動をする。
下手な返事や、不審な行動をしようものなら次の瞬間にはこの世とお別れしてしまいそうだ。
だが、この危機的状況を解いたのは、またしても朏だった。
朏はその体に持つ爪を使い。ナイフをいとも容易く弾いたのだ。
その行動に凪さんも床の間に飾ってあった刀を構えこちらを見捉える。
まてまて、この状況は本当にやばい。
何か、何か状況を一転させる方法は無いのか。
そう思考を巡らせていると、昨日別れ際に月詠が言っていた事を思い出す。
『もしも悪い『獣』と間違われた時はあたしの名前とこの黒兎の『朏』を連れて行って見せてください。そうすれば身の潔白は証明されますから!』
そういえばそんな事を言っていた気がする。
しかし、今この状況を乗り切るには勇気がいるが、今これ以外にこの一触即発の状況を切り抜けるにはこれしかない!
後ろでまたナイフが取り出されるような音がするがそれを無視して口を開く。
「待ってください!俺は何も知らないんです!昨日月詠に凪さんに会うときにこの話をしろって言われて。そこの黒兎の朏と一緒にやってきたんです!」
俺はなけなしの勇気を振り絞り大きな声でそう叫んだ。
少しの間有流さんも凪さんも呆気に取られていたが、
凪さんが朏を凝視していく。
すると何故だろうか。
凪さんの顔色が青くなっていくではないか。
直ぐに持っていた刀を床の間に戻して有流さんに、
「それを仕舞って直ぐにもう一つ座布団を用意しろ!」っと命令した。
俺はその様子をただ茫然と眺めていた。
あれから三分程経った。
有流さんが座布団を持ってくると朏は肩から飛び降りその座布団の上で寛いでいる。
有流さんも凪さんもかなり顔色を青くしているが何かあったのだろうか。
そう思い、隣で寛いでいる朏を撫でる。
そう、朏を・・・。
あっ。朏って確かこの地を守る五匹の兎の一匹なのだから凪さんが知っていてもおかしくないだろう。
つまり、そんな黒兎を連れていて。
しかも月詠というこの地の守り神が遣わした客人を大変物騒な出迎えをしてしまったことになっている。
それはかなり重大な事だった。そう思うと胃が痛くなっていく。
そんなある意味重い空気の中、凪さんは姿勢を崩してこちらを向いた。
「申し訳ない!しっかりと観察していれば分かる事だったのだが。先程から姫が少し行方不明になっていたせいか、私も気を張っていたのだ。どうかこの通り。」
凪さんが頭を下げて床につける。それと同じく凪さんの横で有流さんもだ。
それ即ち、土下座である。
あんまり、年上にされた事が無いので少し戸惑うが、この状況を引き起こしてしまった俺も悪いので余計胃が痛くなる!
「いえいえ。こちらも至らぬ点があったからですよ。どうか頭を上げてくださると助かります。」
「ありがとうございます。本当に申し訳ないことをした。それだけは受け取ってくれ。」
そう言うと、凪さんは顔をあげる。もちろん有流さんもだ。
まぁ、少し濃い事があったが俺には聞かないといけないことがある。それが一番の優先事項だ。
「それで話なんですが。『獣』って一体なんでしょうか?」
俺はそれを知っているであろう凪さんに再び問いかけた。