第十一話 黒兎の誘惑
歓迎会も開かれ、従業員とも顔を合わせてからお風呂に入った俺は。
宿の縁側に出て静かに夜空を眺めていた。
今日あったことを。
いや、ここ数日で起こった大きな出来事を思い出していた。
たった二日だった。この二日間で俺はこの五兎に来ることになった。
途中色々な事があった。
不思議な話を聞いたり、あの鳥居の件もあったが、俺的には本当に来てよかったと思っている。
まだ記憶に残る様な思い出は無い。
だけどこの出来事のおかげで、俺は父や誰かの温かさを知れた。
それが本当に大きかった。もし父が俺を五兎に送るなんてことを言いださなかったら。
こんなことは無かったのかも知れない。
それは沙良姉さんも一緒だ。
もし、前日に挨拶をしていたらあの温もりを知ることもできなかったのではないのだろうか。
そう思ってしまう。
そういう風に間違っていなかったのだろうかっと思える程後悔をしたくない思いがあることで俺が今回の経験をどれだけ大切にしているか自分自身で強く噛みしめることが出来る。
なんか自分で思っておいてなんだけど、凄く気恥ずかしくなった。
それを誤魔化すかのように手に持っていたお茶をグイッと一気に飲み干す。
誰かに話してるわけでも無いのに落ち着こうとして俺は目を閉じたとき。
ポフッという音がしそうな感覚の物が俺の膝上に乗った。
俺はそれに驚いて目を大きく開ける。すると膝上には一匹の兎が居たのだった。
先ほどまでは周りにもいなかった筈の兎が。
いや、兎はいること自体はおかしくはないのだ。
この五兎では、兎が神聖視されている為野良兎がかなりいるのである。
まぁ、数を管理しているので、多くなりすぎたら流石に数を減らすらしいが。
今はそんなことはいい。
問題は先程まで影も形もなかったものが今膝上に居るということ。
俺は膝の上の1羽の兎をよく見てみる。毛並みは綺麗な黒色で、目は透き通るような黄色。
体には綺麗な黄色の三日月模様があった。ここまで綺麗な兎は見たことがない。
今日五兎にいる間幾度もなく見た兎と、テレビ等で紹介される兎を思い浮かべる。
しかし目の前の兎は記憶にあるもの全てを凌駕していた。
すると急に俺はそれに触れたくなった。
恐る恐るそれに手を伸ばす。兎の目を真っ直ぐと見ながら。
そして指がその綺麗な毛並みを触る直前。俺は意識を手放していった。