『エッジ』 第11章 裏切り(10)
礼韻、涼香、優丸の3人が合戦の観戦態勢を整えるために土塁を掘ったのは、未明だった。
四角形で表すところの、左下の隅の小高い丘。左上方面の松尾山に土塁の壁面を向け、草木でカモフラージュを施し、鑑賞の場を作った。
10月後半、関ヶ原の夜明けは6時を数分すぎた時刻となる。だが曇天と靄で、この日、闇が去ったのは6時半に近かった。もっとも礼韻たちは時計を置いてきているので、時刻は知らなかった。
周囲が白んでも、景観は開けてくれなかった。自分たちの手元すら見えにくい状態がしばらく続いた。彼らは、これではせっかく来たのに合戦が見えないと、少々焦りを感じた。
それが、徐々に薄れてくる。それまでぼんやりとだった互いの顔が見えるようになり、周囲も見渡せるようになった。
午前8時、発砲とともに合戦が始まったときには、うっすらと合戦の平原が見えた。
松尾山は近かったことから、その時点でかなりはっきり見ることができた。
もうその段階から、小早川秀秋は落ち着きなくうろついていた。動揺している様子が、望遠鏡を通してはっきりと見て取れた。行動も、表情も。
小早川秀秋の後世に伝わる人物評は極めて低い。秀吉の親族ということから養子になり、領地や位階を引き立てられ、血縁の近さから一部では後継者と目されていた。しかし、なんら際立つ才がなく、思慮も浅く、秀吉に実子ができると養子に出された。養子の先も、毛利家だったものが、あんな能無しが後継となってはたいへんだと、毛利の分家である小早川が犠牲となってもらい受けた。
そのようないきさつで、小早川の当主となった。器量のない者は虚栄心のかたまりとなる傾向が強い。
周囲から軽んじられるため、自分で殻を作らないと気持ちを支えられないのだ。小早川秀秋はその典型だったように、語られている。
「たしかに、史書や小説に書かれているそのままの男だったみたいだな」
望遠鏡をはずすことなく、礼韻が言う。涼香もそのとなりで、礼韻の言葉に同調する。レンズを通して、秀秋の落ち着きのなさがつかめたからだ。視線は泳ぎ、荒い息をついている。
小早川秀秋は西軍に属しているが、家康に通じ、裏切って西軍に襲いかかれと指示されている。そして合戦が始まってなお、迷っている。それが挙動にはっきりと出てしまっているのだ。
とても1万を超える大軍を指揮する将ではない。どうしても涼香は感じてしまう。若く、華奢で威厳がない。そこにもってきて、あの落ち着きのない振舞い。やはり史書のとおりの人物だったと思った。




