『エッジ』 第8章 帷面権現(2)
好奇心、恐怖、祖父の期待への返答など、さまざまな思いが頭を占め、礼韻を悩ませた。
頭を抱える礼韻を、願坐韻は、答が出るまでじっと待った。
うっすらと、覆われた窓がかすかに明るくなり、夜が明けたとかろうじて分かる。
願坐韻は微睡み、帯同した医師から薬剤を投与され、少量の食事を摂る。誰の目から見ても、願坐韻の先が長くないことが分かる。礼韻は、願坐韻の弱々しい動きを見る度に、時を渡ると口走りそうになった。
それを押しとどめているのは、自身のもやもやした感覚だった。礼韻は自分の感覚を信じることによって、これまで、危機を脱し、また優位をより確固たるものにしてきた。感覚というのは漠然としたものだが、その裏には頭脳のはじき出した計算が含まれている。礼韻はそう信じていた。
その感覚が、今回、過去へ行くことを拒んでいた。行けば、帰れなくなる。何故か、礼韻の心の中に、もう一人の自分がそう訴えていた。
これまでのように感覚に従うなら、これは断る一手だった。しかし、願坐韻がここまで連れてきて、ずっと秘めていた過去の出来事を語った。よほど、自身の完璧な後継者にしたいという思いがあるのだろう。その強い思いに従うなら、行く以外にない。
礼韻は揺れた。窓が完全に黒くなり、またうっすらと黒味が薄れた。それが3度、繰り返された。礼韻は眠らず、ひたすらひたすら考えた。
再び窓が漆黒となり、虫の鳴き声が耳鳴りかのように聞こえた。
そのとき願坐韻が激しく咳きこみ、医師が跳ね起きて投薬した。
今までなら、それでおさまった。しかしこのときは咳が続いた。普段は青い顔色の願坐韻が顔を真っ赤にし、きつくこぶしを握り締めている。付き人も礼韻もうろたえるばかりだった。
そして、フラットな板張りに改造されたバスの床に、願坐韻は吐血した。




