『エッジ』 第7章 祖父の贈り物(10)
まるでドキュメンタリーのナレーターかのように、願坐韻は淡々と語った。もちろん言葉が発せられない、頭の中を通しての語りだ。
「歴史学に取り組みだしてから3年後、私は時を渡り、慶長5年9月15日の関ヶ原に降りた」
「時……?」
礼韻は目を開け、前に座る祖父を見つめた。
願坐韻は、しかし、目を瞑っていた。車椅子に身を任せ、へその下で両手を組み、少しだけ首を傾げている。息遣いも穏やかだ。
落ち着いた様子と、唐突な超常現象への言及が、どうにも結びつかない。だが願坐韻は、
「時を超えたのだ、私は」
もう一度、礼韻の頭の中に言い放った。
礼韻は、病の進行によって、意識に異常をきたしたのではないだろうかと疑った。これほどに非論理的な言葉を放つ祖父は、初めてだった。
「なるほど、狂ったと考えるのか。それも、無理からぬことかもしれない。時を超えたと、いきなり言われたのだからな。こういったものは、説明など無意味に等しい。礼韻、私の回想にもうしばらく付き合うがいい。そうすれば、時を渡ったことが事実だということが分かる」
混乱する礼韻が言葉を返せないでいると、再び願坐韻の言葉が頭に入り込んできた。
「未明の関ヶ原だった。私はもっと動顛するかと思っていたが、相違して冷静だった。闇の中を歩き、夜が明けたときに松尾山を見られる地点を目標に、向かって行った。当初の予定どおり、小早川秀秋の裏切りを見るためだ」
願坐韻は関ヶ原の地形が、隅々に至るまですべて頭に入っていた。だから暗闇でも、自在に歩き回れたのだ。
松尾山を見渡せる小山に着いたとき、願坐韻はまだ20世紀の服装だった。早急に、この時代の服装に替える必要があった。
願坐韻は、小早川陣を見張る、3人の東軍の若者を襲った。
願坐韻は1人だったが、持参した睡眠薬が人数の不利を補った。眠り込んだ彼らの着衣を剥がし、願坐韻は身に着けた。そして土嚢を掘り、そこでようやく安堵のため息を吐き、闇で見えない松尾山を凝視した。
合戦が始まるにおいが漂っていた。願坐韻は体が震えだした。