『エッジ』 第7章 祖父の贈り物(1)
歴史の重大な出来事は西暦の語呂合わせで覚えることが多い。「鳴くよ(794)ウグイス平安京」や「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」などだ。しかし関ヶ原の合戦を語呂合わせで覚える者は少ない。1600年と切りがいい年号だからだ。
その関ヶ原でもうひとつ、他の出来事と隔しているのが、たったの一日で終わったということだ。年号だけでなく日にちまでもを断定できる。他の事象と違って曖昧さがまったくない。
礼韻が祖父の願坐韻から『一度だけ過去に遡れる』というプレゼントをもらえるとなったとき、明確に年号と日にちを答えられた。願坐韻もその日を予測していて、満足げに大きく頷いた。そして掠れた声で、しっかり見てくるがいいと言った。
願坐韻には孫が9人いた。しかし権威者は孫にすら相好を崩すことはなく、ただ一人、礼韻だけをかまうのみだった。
自身の子であろうと孫であろうと、凡庸と決め付けた者には目もくれなかった。その孤高の歴史学者の目に適ったのは、礼韻ただ一人だった。
礼韻の吸収力はすさまじく、取り入れた知識から放つ分析も願坐韻を納得させるものだった。これほどの孫に学校の授業など意味がないと、自分に付き添わせるときには学校への連絡すらしないで休ませた。
まるで家康と家光のように、隔世の間には孫を買う気持ちと祖父を尊敬する気持ちがかみ合っていた。
その祖父が、倒れた。礼韻は病院に駆けつけ、願坐韻の付き人たちを押しのけてベッドのそばに立った。
そこで眠り続ける願坐韻が意識を戻した。おぉっ、とくぐもった声がわき、やはり先生の認めるお孫さんだという言葉が誰かから漏れた。
願坐韻は身を研究に捧げていたので、家庭を作るのが遅かった。長男は45の時の子で、礼韻とは73も離れている。この日、願坐韻は90の誕生日だった。
その場で言葉は交わせなかった。礼韻はそれまで、祖父がいなくなることなど考えたこともなかった。しかしこの日、それを突き付けられることになった。
まず考えたのは、安穏としている場合ではない、ということだった。どう、動いていいか分からない。しかし少なくとも、今の生活を脱却しなければならない。そう考えた。
礼韻は翌日、高校に退学願いを提出した。




