第一章 恋に恋して02
「璃杏、待てって」
振り向いた璃杏の目は、涙で潤んでいた。
「ほれ、危ないから、手を繋ごう」
「璃杏、もうそんな齢じゃないもん」
「そっか、そうだよな。ごめん、お兄ちゃんが悪かった」
「だからそうじゃなくって、どうして分らないの? 颯ちゃん、本当はバカでしょ?」
ずんずん歩いて行ってしまう璃杏を、颯太は苦笑で追いかける。
「危ないから」
強引に手を取られ、キッと璃杏が睨む。
「颯ちゃんなんて、大嫌い」
手を振り解かれ、走って行ってしまう璃杏を見ながら、颯太はやれやれと首を振る。
やっとの思いで駅構内で捕まえた颯太は、人にぶつかりそうになった璃杏を自分へと引き寄せる。
「言うことを聞け。俺、チャージするから、こっち」
璃杏の手を掴み、颯太はぐいぐいと引っ張って行く。
拒んでいたはずだった璃杏顔は、嬉しさを隠せずにいる。
両親から聞かされた話は、璃杏にとって驚きはしたが、すぐにそれは喜びへと変わるものだった。
二人は本当の兄妹じゃなかった。血の繋がりなどない、全くの他人同士。
何度も確認をする璃杏に、天璃は複雑な面持ちで、頷いて見せたのだ。
「好きになって良いって、ことだよね?」
「それは別の問題じゃないかな? なぁ颯太」
璃杏のお兄ちゃん贔屓は、今始まったことではない。両親にとって、心配の材料でもある。
瑠璃に言わせれば、血は争えない。ということらしいが、この喜びようを見て、不安が募ったのは事実。
順を追って説明されていく間、璃杏はテンションを上げ続けた。そして、ついに一緒に暮らさなくなるというくだりに到達した瞬間、さっきまで見せていた笑みが、一気に引いていく。
こんな顔、いつかどこかで見たことがあるな、と天璃は思いつつ、璃杏を宥める。
「颯太のためだ。我慢しなさい」
「そんなの嫌。別々になんて暮らさないもん。私、颯ちゃんのお嫁さんになる」
がっしりと、颯太にしがみ付いて泣く璃杏を見ながら、天璃は昔のことを思い出す。
家を出て行く天璃の後ろを、転びながら追いかけてきた瑠璃の姿である。いつか、時間が解決をしてくれる。自分たちがそうだったように。
「ごめんな」
「嫌だ」
自分から離れようとしない璃杏の頭を、颯太は優しく撫でる。
「璃杏、放してあげなさい。颯ちゃん、それじゃ行けないでしょ」
「颯ちゃんはどこにもいかないの。璃杏と一緒にずっとずっと、暮らすの」
「璃杏、もう決めたことだから。俺も璃杏が好きだよ。大切に思っている。少しだけ、距離を置いて、自分のことを見詰め直したいんだ。時間を俺に下さい」
目を潤ませている璃杏を、見詰め返す。
何を言われても、どうしても颯太から離れられない璃杏を、美希が引き離す。
「行ってください」
美希に言われ、天璃は颯太を乗せた車を出す。
泣きながら、璃杏が追いかけてくる姿が、バックミラーに映る。
「父さん、俺、璃杏の気持ちに応えることは」
「それで良い。いつか、時間が解決をしてくれる。だから安心して、自分らしく生きればいい」
「……大丈夫?」
手を強く引っ張られ、颯太はハッとなる。もう家の門扉が見えるところまで帰って来ていた。
時間が解決をしてくれる。
あの言葉は本当なのか、疑いたくなる。今はしっかりと、璃杏の方が手を掴んでいた。
「鍵を開けるから」
そう言われ、渋々手を放した璃杏が、颯太の後ろで手元を眺める。
「颯ちゃん、もうピアノ弾かないの?」
「ああ。開いた。中へ入って」
「颯ちゃん、先に」
「分かったから、早く入って」
「颯ちゃん、今日泊まるよね」
「そういうわけには、教科書とか持って来ていないし」
「じゃあ、休んじゃえば。璃杏も休むから」
さらりと言う璃杏の顔を、颯太は、まじまじと見る。
璃杏ならやりかねないのだ。
「分かった。泊る。泊って行くけど、教科書とか取りに帰りたいから、璃杏は家で留守番していてくれ」
「とか何とか言って、戻って来ない気でしょ?」
なかなか中へ入ろうとしない璃杏を押し込めた颯太は、後ろを振り返る。
誰かに見られている気がしたからだ。
「颯ちゃん、どうかしたの?」
厳重に鍵を掛ける颯太を見て、璃杏が呆れるように言う。
「そんなに不審者が心配なら、颯ちゃん帰ってくればいいのに? 何かあってからじゃ、遅いでしょ?」
結局、帰りが遅い父親に頼まれて、颯太は泊まる羽目になる。