プロローグ04
「働きながら、学校へ通えば良い」
と、柳井の店へ連れて来られたのは、宣言をしてすぐのこと。
商店街が切れ、少し入り組んだ場所に、柳井の経営するカフェバーはある。
木彫でひっそりとした佇まいを漂わせた店を一目見た瞬間、颯太は気に入ってしまう。
アンティークにまとめられた店内。
昼間は簡単なランチメニューが出され、夜はバーへと転身する。
常連客ばかりで、ほとんどが柳井の知り合いである。
恐縮する天璃を見ながら、柳井は颯太に住み込みで働かせる条件を出してきた。
学業を優先させること。成績は下げたら、即退去を命ずる。それ以外は、自由にしてくれて構わない。と言うのだ。
願ったり叶ったりの条件だと、天璃は更に頭を深々と下げ、何度も礼を言う。
颯太は複雑な思いで、その姿を見詰めていた。
あまりは正直に、何でも颯太に話してくれていた。しかし、肝心なところを濁していたのは、事実。それを知り、傷ついてしまった颯太である。空回りしていく自分が居た。これ以上、家族の振りなんてできないと……。
大決心の末の、行動だったのに、どうしてこんなにも悩んでしまうのか、自分でも不思議に思う。
今でも、本当にこれで良かったのか、颯太は正直迷ってしまっているのだ。
まことの言葉は正論である。
身を入れて頑張らなければならない。分かっているのだが、どうしても自分を引き寄せてしまうものがある。
暗がりをドブネズミのように、繁華街を渡り歩き、自暴自棄になっていた颯太は、一人の男に拾われていた。
禾久保は目つきが悪く、見るからに違う世界の住人と分かった。
だが、その時の颯太に判然させる思考は失せてしまっていた。
空腹と孤独に喘ぐ颯太にとって、禾久保の存在は絶対的になるまで、そう時間はかからなかった。
空腹を満たすのみならず、大人とみなし、酒やタバコの味、女に扱い方をしえたのも、禾久保だった。
知り合ってひと月、颯太は禾久保の使いをするようになっていた。
簡単な仕事である。
指定された場所へ赴き、カバンを取り換えてくるのだ。中身など知らない。ただ言われた通り受け取って来た物を、禾久保に渡す。
それだけの仕事に、禾久保は万札をくれるのだ。その時の気分で、枚数は違っていた。
そしてその日も同じように、待ち合わせ場所へと向かった颯太は、待つこと三十分。
一人の男が近づいてきて、いつものように颯太に尋ねてきた。
「君、ノギさんとこの」
いつもと変わらない光景だったが、なぜだか違和感を覚えた颯太は、無意識のうちに後退りを始める。
角から数人の男が現れ、颯太は反射的にカバンを投げつけ、逃げ出す。
抵抗も虚しく、すぐに取り押さえられてしまった颯太である。
その時、手錠をかけたのは相馬だった。
拘留期間を終え迎えに来た天璃は、颯太の頬を打つ。
温厚で滅多に声を荒げない天璃がだ。
目には薄ら涙が浮かんでいた。
後から知った話だが、颯太を捕まえた相馬と天璃は知り合いだったらしい。
颯太が無罪放免で釈放された背景には、証拠品であるバックの中身がからだった。
おそらく、どこかから情報が漏れ、颯太は囮にされたのだ。
居場所を聞かれたが、黙秘を続けた。
実際、禾久保がどこに居住しているのかを、颯太は知らずにいたのだ。
連れて行かれたのは、知り合いの女性の店で、そこで働くホステスの部屋で暮らさせてもらっていたのである。
颯太の初めての相手も、その女性である。
その日からその女性も禾久保も、街から姿を消している。
「この子には、俺にも責任がある。更生、頑張ってさせましょう」
引き取りに来た天璃に、相馬はそう宣言したそうだ。
その意思表明がいかなるものだったのか、颯太はすぐに思い知らされることになった。
如何なる場所にも、相馬は現れ、颯太を補導しにやって来る。
逃げても逃げてもおってくるのだ。
どうしてそこまで、と腹を立てる颯太を見て、相馬は歯を見せ笑う。
「これが俺の仕事だからだ」
にしても、たかが非行少年一人に、ふつうここまでしない。警察は、そこまで暇ではないはず。
だが、相馬は止めようとはしなかった。
自分が動けない日は、用意周到に、別の者が配備されていた。
完敗である。
非行は止めたものの、それからというもの、颯太は部屋へひきこもるようになっていた。
現実逃避をしする颯太の前に、やはり相馬は立ちはだかったのである。