第五章 交われない心07
年の瀬が迫ったある日、柳井に買い物を頼まれた颯太は、店の前に立つ男を見て、顔面蒼白になる。
ふてぶてしい笑みを浮かべた、禾久保がそこには立っていた。
「よ、元気そうだね」
あの日以来、音信不通だった禾久保が、どうして今更現れたのか、颯太は混乱してしまう。
最近、思い出すことすらしなかった颯太である。
「……の、禾久保さん、お久しぶりです」
顔をひきつらせて言う颯太を見て、禾久保は冷ややかな笑みを、口元に浮かべる。
颯太の全身を、緊張が迸って行く。
――絶句である。
かつての颯太は禾久保を、そんな目で見たことはなかった。確かに怖さを感じることは幾度もあったが、恐れるに足りないものだった。しかし、今の禾久保には表現しがたい風格が増し、異様さを放っているのだ。
「良い子ちゃん、しているみたいだな?」
禾久保は顔を少しだけ傾けさせ、店を見やる。
「まぁそんなこと、どうでもいいや。それより颯太ちゃん、口が堅くて、助かりました」
取り調べで、颯太は口を割らなかったのである。
「また一緒に、お仕事をする、お誘いに来ました」
ゆるゆるとした口調ではあるが、禾久保の目は笑っていないことに、颯太は気が付いていた。
「もう、熱も冷めたと思いまして、昔の仲間、集めています。一番に、乳井室颯太君を迎えに来たんですよ。感謝してくださいね、乳井室颯太さん」
名前を二度も強調された颯太は、言葉を失う。
禾久保は、颯太の名前しか知らないはずだった。
「仕事って……」
禾久保が颯太の首を、腕で絞めてくる。
鼻で笑った禾久保がずるずると、颯太を物陰へと引っ張って行く。
「会いたかったよ。分かっているだろうが、そう易々と金の卵を手放すわけがないだろ」
颯太の腹目がけ、数発パンチを入れた禾久保は薄笑いを浮かべる。
「逃げんなよ。今日は大人しく帰ってやる。迎いに来るから、荷物まとめておけよ、颯ちゃん」
金をすべて抜き取った財布で、颯太は禾久保に頬を叩かれる。
「仲良くやろうや。颯ちゃん」
顔を舐めるように言われ、颯太は身の毛がよだつ思いで、その場に立ち尽くしてしまう。
腹を押さえたまま、颯太は柳井達に迷惑は掛けられないと思う。
金を取られてしまった颯太は、仕方なく店へと手ぶらで戻って行く。
「颯太、どうした?」
帰りの早いことを不思議に思い、厨房から身を乗り出した柳井の問いに、颯太は一瞬躊躇う。
「ごめん、俺、腹が痛くって。トイレ」
心配顔で見ている柳井に顔を向けることが、颯太は出来なかった。
自宅専用の玄関はある。
しかし颯太を預かると決めてから、柳井の目が行き届かなくなるのは困ると言って、封印してしまったのである。
「颯太、無理して上に行かなくても、店ので」
「はずいから」
颯太は渾身の演技でその場を凌ぎ、部屋へと飛び込む。
慌てて荷物をまとめ、颯太は窓から脱出を図る。
とにかく、遠くへ行かなければとしか、頭にはなかった。
人目を盗むように、颯太は駅へと向かう。
だが、禾久保の方が一つ上手だった。
顧みながら走って行く颯太の目の前に、にやけた禾久保が姿を見せたのだ。
ギョッとなり、颯太は腰を抜かしてしまう。
「逃げるとか、ダメでしょ。俺、キミの恩人ね」
髪を掴まれ、颯太は怯えた眼差しで、禾久保を見る。
「すいません」
震えが止まらずにいた。
「来い、お前に頼みたいことがある」
首を抱えられたまま、颯太は引きずられながら、タクシーに乗せられる。
カーテンで閉め切られた、古いアパートへ連れて来られた颯太は、正座をさせられ手を縛られてしまう。
「今日の十九時、新宿歌舞伎町。これを届けろ。前と同じだ」
靴を履いたままの禾久保が、テーブルに腰かけ、酒を煽りながら言う。
尋常ではない禾久保である。
「変な気、起こすなよ。もしそんなことしたら、こいつがどうなっても知らないぞ」
友菜の写真を見せられ、ギョッとなる。
「禾久保さん、一つ聞いても良いですか?」
禾久保はどこか落ち着きがなかった。始終キョロキョロして、真冬の暖房もない部屋であるのにもかかわらず、大量の汗もかいているのだ。体臭も独特で、鼻を覆いたくなる。
「あん?」
ギョロっとした目で睨まれ、颯太は生唾を飲み込む。
「この写真は、どうやって」
「知りたいか」
にやにやとした顔で、禾久保が聞き返す。
「これ何だ?」
動画サイトを見せられ、颯太は愕然となる。
まさか友菜がここまでしているとは、思ってもみなかった颯太である。
「いつからです?」
絞り出すように聞く颯太を見て、禾久保は鬼気とした笑い声を上げる。
「ずっと。やられていたのも、見ていました。俺の大事な弟分をかわいがってくれたって、一人半殺しの目にしてあげました。あれ、聞いていない? あっそうか、ばらしたらばらしちゃうよって、うまい冗談、言ったんだ。ね、自分で言うのもなんだけど。俺って良い兄貴だと思わない?」
颯太はやっと合点がいった。
思い当たる節がある。
執拗に絡んできた先輩の一人が、急に学校から姿を消していた。
風のうわさで、酷いノイローゼにかかった。と聞いたことがある。
すれ違っても目を合わせまいと、そそくさと行ってしまう姿も不自然だった。




